3. 計算力学
章内目次
3.1 はじめに
固体力学,流体力学,熱工学から電磁場,化学反応などを含むマルチフィジックスシミュレーションや,原子・分子スケール,ナノ・マイクロメートルオーダの現象からマクロレベルに至るスケールを繋ぐシミュレーションは,様々な機械工学分野および産業界だけでなく,生体医療分野なども含めて,必須のツールである.2020年春から続くコロナ禍は社会全般におけるデジタル化を加速してきたが,計算力学分野においてもシミュレーションデータと計測データによるシナジー効果を狙った研究が盛んに行われ,データ同化,機械学習,マテリアルズインフォマティクスなどの研究も実用レベルに進化してきた.製造においてもデジタル化と3D積層造形がジェネレーティブデザインやトポロジー最適化と結びつくなど,新しい潮流が定着する中で,計算力学の貢献が顕在化している.さらに,2021年のノーベル物理学賞の記憶も新しい気候変動といったグローバルな問題や,災害・減災の問題にも活用される.2021年3月に本格共用が開始された二代目フラッグシップ計算機「富岳」を頂点とする革新的ハイパフォーマンス・コンピューティング・インフラ(HPCI)では,ポスト「京」重点課題(2016年度~2019年度)を受けた「富岳」成果創出加速プログラム(2020年度~2023年度)が推進されている.本章では,上記の現状をふまえ,9つの視点で計算力学の進展と今後の展望を綴る.
〔高野 直樹 慶應義塾大学〕
3.2 計算固体力学
2021年度も2020年度に続きCOVID-19の感染拡大の影響で,計算力学分野における国内の主要な研究交流の場である日本計算工学会主催の計算工学講演会(第26回)と本会主催の計算力学部門の講演会(第34回)はオンライン開催となった.
2021年9月21日(火)〜23日(木,祝)に本会計算力学部門の講演会(第34回計算力学講演会:以下CMD2021)(1) が,オンラインで開催された.オンライン開催であるにも関わらず参加登録者数は470名を超えた.CMD2021においては,25件のオーガナイズドセッション(OS)が企画された.数年間継続しているOSもあるが,部門講演会におけるOSの題目が,計算固体力学を含む計算力学研究の動向を示す指標と考えられるので,まずそれらを列挙しておく.OS01:設計のための数理モデリング,OS02:サロゲートモデルによる解析・最適化・不確定性評価,OS03: 電子デバイス・電子材料と計算力学,OS04: 計算力学と最適化,OS05: 高分子材料に関わる計算力学と機械学習及び関連話題,OS06: 逆問題とデータ同化の最新展開,OS07:固体と構造体の非線形・衝撃・不安定解析フロンティア,OS08:計算バイオメカニクス,OS09: 境界要素法の高度化と最新応用,OS10: 周期構造とシミュレーション技術,OS11: 複合・連成現象の解析と力学,OS12: メッシュフリー/粒子法とその関連技術,OS13:深層学習と機械学習, OS14: 材料の組織・強度に関するマルチスケールアナリシス ,OS15: 電子・原子・マルチシミュレーションに基づく材料特性評価 ,OS16: フェーズフィールド法と関連トピックス,OS17: 大規模並列・連成解析と関連話題,OS18:計算電磁気学と関連話題,OS19:直交格子・AMR法の流体シミュレーション,OS20: 市販ソフトを用いた難問題のモデリング・シミュレーション,OS21: CAE/CAD/CAM/CG/CAT/CSCW,OS22:オープンソースベースの連成解析ツールの可能性,OS23: 破壊力学とき裂の解析・き裂進展シミュレーション,OS24: 流体の数値計算手法と数値シミュレーション,OS25: 企業におけるCAEおよび産学官連携の事例.
ここ数年の人工知能(Artificial Intelligence: AI)の研究ブームを背景として,AI関連技術の応用研究に関するOS(OS02,OS05,OS13)が企画されている.また,これら以外のOSにおいても, AI関連技術を用いた応用研究のものも多くある.以下,計算固体力学の動向として,CMD2021におけるOS14,OS15,OS23における講演発表内容について調査した結果を報告する.
OS14: 材料の組織・強度に関するマルチスケールアナリシスとOS15: 電子・原子・マルチシミュレーションに基づく材料特性評価が合同となってセッションが設定され,3日間に渡って総セッション数10,講演発表件数は49に達した.これらの合同OSでの講演発表において用いられている計算固体力学的手法は,原子・分子レベルを対象とする分子動力学法(Molecular Dynamics: MD),マクロ系を対象とする有限要素法(Finite Element Method; FEM)に大別される.AI関連技術の応用として, MD計算に用いる原子間ポテンシャルをニューラルネットワーク(Neural Network: NN)を用いて構築する研究も報告された.FEMを用いる研究としては,炭素繊維強化プラスチック(Carbon Fiber Reinforced Plastic: CFRP)などの複合材料を対象とした均質化法,結晶塑性理論,転位動力学法(Dislocation Dynamics: DD)をFEMと組み合わせた手法を用いた発表もあった.
OS23:破壊力学とき裂の解析・き裂進展シミュレーションは,会期の第3日目に設定され,総セッション数4,講演発表件数は19であった.このOSでの講演発表において用いられている計算固体力学手法は連続体力学に基づくFEMが主であった.近年,き裂面に作用する表面力とその相対変位との関係を与えることによりき裂の発生と進展を模擬する結合力モデル(Cohesive Zone Model: CZM)を用いたき裂進展解析も実施されるようになってきている. FEM解析の結果を後処理して応力拡大係数やJ積分などの破壊力学パラメータを評価する方法としては,領域積分法が標準的に用いられるようになっているが,特性テンソル法(2)と呼ばれる新しい手法の提案もあった. AI関連技術の応用として,深層ニューラルネット法(Deep Neural Network: DNN)を用いた連続体力学の偏微分方程式の解法(3)を破壊力学問題に応用した研究に関する発表もあった.メッシュフリー法の一つであるRKPM(Reproducing Kernel Particle Method: RKPM),不連続性関数を拡充したFEMの形状関数を用いる拡張有限要素法(eXtended FEM: XFEM), CADで用いられるB-Spline関数やNURBS関数を利用した形状関数を用いるアイソジオメトリック解析(IsoGeometric Analysis: IGA)を破壊力学や損傷進展解析に応用した研究も報告された.
〔長嶋 利夫 上智大学〕
3.3 計算流体力学
2020年から続く新型コロナウイルス(COVID-19)の蔓延による緊急事態宣言の発出やこれに伴うイベント開催自粛等により,計算流体力学関係の国際会議の多くは延期や中止を余儀なくされ,残りはオンラインでの開催となった.2021年においては,オンライン会議ツールの改良が進み,リアルタイムでのオンライン開催に関する技術的な問題はほぼ無くなったが,時差の関係上,欧州・米国・アジアを含めた世界中の研究者が一同に参加するに至っておらず,これらの国際会議から全体的な動向を把握することは非常に困難であり,オンサイトでの国際会議の開催が待ち望まれる.他方,国内会議に関しては,コロナ禍が始まった2020年において中止していた会議も含めて全てがオンライン開催となった.計算流体力学分野の国内動向は,毎年年末近くに開催される日本流体力学会主催(本会協賛)の数値流体力学シンポジウムに反映されると考えられ,以下ではセッションごとの発表件数の増減を示す.なお,時差の問題もなく,後述の通りコロナ禍以前と同規模で開催されたことも考慮すると,国内動向を正確に捉えられていると判断できる.
第35回数値流体力学シンポジウム(1)は2021年12月14-16日にオンラインで開催された.16のオーガナイズドセッションおよび一般セッションに対して例年とほぼ同数の約244件の講演発表が行われた他,以下の2件の特別講演が行われた:Pinaki Chakraborty(沖縄科学技術大学院大学)「Landfalling typhoons in a warming climate」,堀田 英之(千葉大学)「富岳を用いた太陽対流層高解像度計算」.
この分野の国内動向を把握するために,2020年の年鑑(2)においても数値流体力学シンポジウムの講演データが採用されている.ここでは,2020年のデータに2021年のデータを追加する形で,それぞれの研究分野の動向を分析する.表3-3-1は,数値流体力学シンポジウムにて企画された各OSの発表件数の推移を示している.2020年の年鑑データ(2)に2021年のデータ(1)を追加するとともに,2016年から2020年までの平均値とそれに対する2021年の増減率も追加情報として含めた.なお,表中のOSの並びは増減率順である.最も特異な推移を示しているのは「直交細分化・適合細分化格子法」に関する講演数であり,2021年は2016年から2020年の平均値に対して倍増している.これは,2021年に「富岳」の一般運用が開始され,近年のスーパーコンピュータにおいて高効率な計算手法となりえる直交格子法等の開発が進んでいることと関係している可能性がある.また,増加傾向にある「新規解法及び高性能化に向けた既存手法改良」と「大規模・高速計算,新しい計算資源の利用」にも共通した事項と考えられる.次に大きく増加している分野は「原子・分子の流れ」であり,2020年に引き続き増加傾向にある.「富岳」を含めて全国のスーパーコンピュータに汎用のソフトウェアが整備され,ある程度の実用規模における分子動力学計算が可能となったことと関係する可能性がある.次に増加傾向にある分野は「可視化,データ同化,機械学習」であり,2021年は2016年から2020年の平均値に対して34%増,2016年比で3.5倍程度まで増加している.米国物理学会(APS)主催のDFD Meeting(3)でも注目されており,また,計算流体力学分野の国際雑誌に掲載される関連論文も増加傾向にあることから,この傾向は今後も少なくとも数年は維持されると予測される.「非圧縮流れ解法,圧縮流れ解法」,「エネルギーに関連する流れ」,「乱流,渦,波動」,「混相流体,相変化,反応,界面」,「輸送用機械に関連する流れ」,「複雑流体の流れ」,「電磁流体,プラズマ流」及び「種々の連成問題」に関しては,多少の増減が認められるが,年度変動の範囲内にあるように感じられる.講演件数が比較的減少傾向が続いている分野は,「連続体力学的解法」,「地域環境と防災」及び「離散要素型解法」であり,2020年に引き続いて講演件数が減少している.この内,「連続体力学的解法」と「離散要素型解法」は,これらの解法が成熟したためと考えられる.他方,「地域環境と防災」が減少傾向にある理由は明らかではないが,コロナ禍,地震,津波,噴火等,対応すべき災害が近年多く発生しており,今後の研究発表は増加すると考えられる(表3-3-1).
表3-3-1 数値流体力学シンポジウムにおける講演件数の推移
OS名 | 2016 | 2017 | 2018 | 2019 | 2020 | 平均 | 2021 | 増減率 |
直交細分化・適合細分化格子法 | – | – | – | 10 | 8 | 9 | 18 | 100.0% |
原子・分子の流れ | 10 | 4 | 15 | 13 | 20 | 12.4 | 17 | 37.1% |
可視化,データ同化,機械学習 | 6 | 12 | 18 | 19 | 27 | 16.4 | 22 | 34.1% |
新規解法及び高性能化に向けた既存手法改良 | 6 | 12 | 9 | 6 | 13 | 9.2 | 12 | 30.4% |
非圧縮流れ解法,圧縮流れ解法 | 11 | 16 | 17 | 6 | 5 | 11 | 13 | 18.2% |
大規模・高速計算,新しい計算資源の利用 | 8 | 11 | 5 | – | 4 | 7 | 8 | 14.3% |
一般セッション | 11 | 3 | 0 | 9 | 4 | 5.4 | 6 | 11.1% |
エネルギーに関連する流れ | 16 | 11 | 11 | 14 | 12 | 12.8 | 14 | 9.4% |
乱流,渦,波動 | 25 | 28 | 30 | 25 | 37 | 29 | 31 | 6.9% |
混相流体,相変化,反応,界面 | 15 | 14 | 17 | 19 | 24 | 17.8 | 16 | -10.1% |
輸送用機械に関連する流れ | 27 | 12 | 21 | 22 | 17 | 19.8 | 17 | -14.1% |
複雑流体の流れ | 12 | 15 | 19 | 20 | 16 | 16.4 | 14 | -14.6% |
連続体力学的解法 | 15 | 19 | 22 | 10 | 11 | 15.4 | 13 | -15.6% |
地域環境と防災 | 30 | 28 | 23 | 22 | 19 | 24.4 | 18 | -26.2% |
電磁流体,プラズマ流 | 4 | 7 | 10 | 7 | 4 | 6.4 | 4 | -37.5% |
離散要素型解法 | 16 | 23 | 22 | 18 | 9 | 17.6 | 11 | -37.5% |
種々の連成問題 | 15 | 15 | 21 | 15 | 17 | 16.6 | 10 | -39.8% |
設計探査,最適化 | – | – | – | 4 | 2 | 3 | – | – |
〔岩本 薫 東京農工大学〕
3.4 マルチフィジクス
3.4.1 総論
a. 計算力学におけるマルチフィジクス
計算力学において,マルチフィジクスがキーワードとして表れるようになって久しい(1).特に最近,分野の垣根を超えて,科学,工学,産業の基礎から応用に渡る幅広い課題の中で,それが本質的に重要となる場合の在ることが認識されてきている.2021度の年鑑においては,部門を超えて,高分子材料・ソフトマテリアル,産業界での計算力学,防災関連,非線形振動,電気・化学加工といった多種多様なトピックの中で,マルチフィジクスが言及されている(2).計算力学のインターディシプリナリな性質を考慮すると,その中でマルチフィジクスが学術的に体系化されることが期待される.例えば,大規模解析は,マルチフィジクスに対する方法論の基本的要素の1つと考えられる(3).
b. マルチフィジクスのコンセプト
マルチフィジクスの定義は明確ではないが,複数の現象の間に何らかの作用があって,それを定式化し,適切に解析することで,その現象を高精度に予測できたり,さらには,その現象の本質が再現できたりすることを指すようである.狭義には,連成問題あるいは連成解析を,これまで主に対象としていた力学システムだけでなく,電気的システム,化学的システム,生物学的システム,さらには社会的システムまで含む,あるいは,時間と空間のより幅広いスケールへと拡張したコンセプトと考えることができよう.国内外の講演会における連成問題・連成解析関連のセッションからも,この理解が一定の妥当性を持つことが示される(第34回計算力学講演会におけるOS「大規模並列・連成解析と関連話題」「複合・連成現象の解析と力学」,第26回計算工学講演会におけるOS「連成解析・連携解析」,JSST2021におけるOS「Coupled-Simulation and Co-Simulation」,ECCOMAS COUPLED 2021におけるOS「Computational Models and Methods for Multiphysics Processes in Multiphase Porous Media」「Block Preconditioning for Challenging Multiphysics Systems」「Multiphysics Problems」「Advances in Multiphysics Modelling and Simulation of Electromagnetic Systems」など).
c. マルチフィジクスへのアプローチ
連成問題の定義や流体構造連成に代表される2つの現象の連成問題を対象とした解法については,それらの研究が十分進展するにつれて,ある種の基準を設けられるまでになったきた(4).上述のコンセプトに基づけば,そのような試みに沿うことで,マルチフィジクスに関する研究開発の見通しをつけやすくなる.例えば,性質の異なる複数の現象の連成(マルチフィジクス連成)に対して,既存の連成解法を適材適所に組み合わせることで,全体の連成解法を系統的に構成するというアプローチが考えられる(5).その一方で,既存の代表的な解法であっても,有効であるとは限らないため,個々の場合に応じて,利点と欠点を適切に評価する必要がある(1).また,常に直面するのは,結果の妥当性を検証することの困難さであろう.この課題の解決に関しては,解析と計測の融合が鍵を握ると考えられる(6).今後も多種多様なトピックを通じて,マルチフィジクスに関する研究が進展していくと考えられる.この際,個々の問題を個別に解決に導くだけでなく,それらの共通項を探り,学術的な体系化に積極的に寄与するという俯瞰的視点が今後必要であろう.
3.4.2 各論
a. 流体-構造連成
流体-構造連成は代表的な連成現象の1つである.対象となる時間と空間のスケールの拡がり,そして,利用可能な計算機環境の性能向上と歩を一にして,研究が進展し続けている.その基本的な方向性は,先端的計算環境上で,精度と計算効率をバランスさせながら,複雑で大規模な構造と流体の境界面を扱うということであり,例えば,オイラー型定式化(7), XFEMやラグランジュ未定乗数法の適用(8)などの研究が行われている.流体-構造連成解析の他分野への貢献も注目に値する.例えば,昆虫羽ばたき飛行において,翼運動の受動性が注目されているが,その進展に対する流体-構造連成解析の寄与は大きい(9) – (11).今後は,制御モデルの導入(12)やドローンへの応用(13), (14)が進められるであろう.
b. マルチフィジクス連成
マルチフィジクスを構成するいずれの現象も他から独立に解析することができない場合,マルチフィジクス連成として明確に区別することが適切であろう(4).ここでは,3つ以上の現象によるマルチフィジクス連成を取り上げる.シャントダンピングやエネルギーハーベスティングにおける圧電振動子の振動特性を正確に予測するためには,逆圧電-圧電-電気回路連成解析を行う必要がある(5).さらにエネルギー源となる周囲の流れや発電効率を最適化するための制御系も含めた連成解析(15)へと研究が進展している.この例に限らず,一般に,より多くの現象からなる連成現象へと対象が拡大していくことは,連成解析の今後の方向性の1つであろう.他にも,抵抗スポット溶接の接触変形-電流-熱伝導連成解析(16)が行われており,観測が極めて困難な溶融内部に生じる1秒未満の現象を理解することに貢献している.
c. 計算バイオミメティクス
自然界の形態,機能,および,戦略を,それらの背後にある原理とメカニズムの理解に基づき模倣することで,持続可能な工学解を得ようとするバイオミメティクス(17)は,必然的にマルチディシプリナリな性質を持つ.計算力学はインターディシプリナリな性質を有するため,バイオミメティクスへの計算力学的アプローチ(計算バイオミメティクス)が有効と考えられる(18), (19).例えば,生物運動のマルチフィジクス連成を人工物の機能生成に積極的に利用する設計が試みられている(20).
d. その他
以上の他,機械学習との連携解析が研究されている(21).マルチフィジクスの複雑さにアプローチするために,人工知能の方法論の適用が今後一層進むことが期待される.
〔石原 大輔 九州工業大学〕
3.5 大規模解析
3.5.1 計算機の発展
2022年6月に米国のスーパーコンピュータFrontierがHigh Performance Linpack(以下,Linpack)において,世界で初めてExaFLOPSを超える性能を達成した.前回まで4期連続で世界一を維持してきた日本の「富岳」は2位に退いた.図3-5-1にLinpackの性能の推移を示す.図3-5-1の横軸は年であり1目盛り5年である.縦軸は性能をログでプロットしており1メモリ1,000倍である.一番下の青線は500位の性能,中央の○印は世界1位の性能,一番上の赤線は500位までの性能の総和である.どのデータも1995年から2005年の10年でおよそ1,000倍,2005年から2020年の15年でおよそ1,000倍の性能向上が確認できる.昨今,性能向上のペースが落ちているものの,計算機性能はこの25年で100万倍も向上しており,今回初めてエクサスケールを超えたFrontierに続き,今後,世界でエクサスケールの計算機が開発されることが予想される.図3-5-2に,2022年6月のTop500ランキングにおける計算機のピーク性能を横軸とし,LinpackおよびHPCGのベンチマークテスト結果を縦軸にプロットした(併せてプロットしているFFB,FFXに関しては後述する).Linpackは密行列を係数行列とする大規模連立一次方程式の解を求めるベンチマークであり,主にプロセッサ自体の性能を評価するものであり効率はおよそ80%である.一方,HPCGは粗行列を対象とした実用計算に近いベンチマークであり,プロセッサの性能に加え,メモリの転送帯域(メモリースループット)および通信性能を含めたシステム全体の総合力が問われ,効率は1%~3%である.前述のFrontierはHPCGの性能を公表しておらず,HPCGに関しては「富岳」が世界一の性能を維持している.図3-5-2より,現在のスーパーコンピュータは数十PFLOPS~数百PFLOPSのLinpack性能を有しているが,実アプリに近いHPCGの実効性能はおよそ数PFLOPS~数十PFLOPSであることがわかる.
以下本稿では,「富岳成果創出加速プログラム」「富岳を利用した革新的流体性能予測技術の研究開発」のもと,PFLOPS級および将来のEFLOPS級のスーパーコンピュータで効率的に動作することを目的として,東京大学生産技術研究所で開発される大規模流体解析コード,有限要素法に基づくFrontFlow/blueおよび格子ボルツマン法に基づくFFX,について概説する.
図3-5-1 計算機性能(Linpack)の推移
図3-5-2 Top500におけるLinpack,HPCGの性能およびFFB,FFXの富岳におけるWeak Scaleベンチマークテスト結果
3.5.2 有限要素法に基づく汎用流体解析コード FrontFlow/blue
FrontFlow/Blue(FFB)は加藤ら(1)(2)が開発した有限要素法に基づく汎用流体解析コードである.乱流現象を高精度に予測することができるLarge Eddy Simulation(LES)をベースとしており,ターボ機械,車両,船舶等の分野で多くの工学利用の実績を有する(3).LESでは乱流中の微小な渦のダイナミクスを直接計算する必要があるため,レイノルズ数が高い流れでは多くの計算格子が必要となり,乱流の高精度予測のためには計算規模は必然的に大規模となる.たとえば,時速80キロで走行する車両表面に発達する乱流境界層には直径0.5mm程度の渦が存在し,これらの渦のダイナミクスを計算するためには解像度0.05mm程度の計算格子が必要となる.上記解像度の計算格子を車両表面に配置すると表面だけで数十億格子が必要であり,計算領域全体では数千億格子が必要となる.FFBは計算実行時に計算格子を自動細分化する機能(4)をサポートしており,この機能を実行時に指定した回数だけ利用することにより最大数千億格子規模の解析が可能である.図3-5-2にはTop500ランキングにおけるLinpackおよびHPCGのベンチマークテスト結果に加え,富岳において,ノードあたり200万グリッドを用いたFFBのWeak Scaleベンチマークテストの結果を示す.Top500の結果は横軸に計算機全体のピーク性能をとって示しているのに対し,FFBの結果は使用したノード数から計算されるピーク性能をとって示している.FFBは「富岳」の158,976ノードを用いることによって22.6PFLOPSを達成し,3,200億格子を用いた計算をステップあたり約0.3秒で計算できることを確認している.1ケースあたりの時間ステップ数は10万ステップ程度であるので,富岳を用いれば,3,200億格子の計算を9時間程度で実行することができる.なお,図3-5-2に示すFFBのベンチマークテストでは,ノードあたり200万格子で構成される立方体領域を直列に繋げた計算領域をとっているため,実用計算よりも通信負荷が小さい.実用計算では,並列化効率が悪化することがわかっており,並列化効率の向上が課題であることが確認されている.
3.5.3 格子ボルツマン法に基づく汎用流体解析コードFFX
FFXは格子ボルツマン法(Lattice Boltzmann Method、以下LBM)に基づく汎用流体解析コードである(5).LBMの最大の特長は,直交等間隔格子を用いる利点を生かした計算格子作成の完全自動化である.有限体積法や有限要素法といった非構造格子による流体解析では,計算対象である空間を六面体,四面体,多面体といった要素(あるいはセル)に分け,これらの要素間の接続関係も含めメッシュデータを作成する必要がある.複雑形状に対してメッシュデータを作成する場合は,解析対象となる空間を厳密に定めるために,形状を表現するデータ(STLデータやSTEPデータ)の水密性が必要となり,ものづくり現場で使用されるCADデータを流体解析用に修正する必要がある.CADデータの修正やメッシュの作成には,特に大規模解析を実行する場合には多大なコストを要する.一方,LBMでは,表面形状データを,隣接する計算格子間のインターセクト情報の集合に変換するだけで形状を表現できるので,任意の複雑形状に対し完全自動でメッシュデータを作成することができる.FFXでは流れソルバーに自動メッシュ作成機能が実装されているので,ユーザはメッシュ作成を意識する必要はなく,形状データファイルをソルバー実行時に指定することによって任意の複雑形状を考慮した流体解析を実行することができる.富岳を用いたベンチマークテストでは,複雑形状を含む解析対象に対し1兆格子規模の計算でも30秒程度で計算メッシュを自動作成できることを確認している.
FFXでは最大数兆グリッド規模の流体解析を想定しており,このような大規模なデータをハンドリングするため,中橋ら(6)が提唱したBulling-Cube Method(BCM)を適用している.BCMでは,直交等間隔格子で構成れる立方体領域を「Cube」とし,計算領域を階層的な解像度を有するCubeに分割する.BCMを適用することにより物体近傍に効率的に高解像度格子を配置できる.また,解析を準備する段階でユーザがハンドリングするデータ数がグリッド数からCube数にかわるため,大規模データハンドリングのコストを大幅に低減できる.FFXではCubeあたりの格子数として10万点程度を想定しているので,1兆格子を用いて計算をする場合でもおよそ1,000万Cubeを扱えばよく,1兆格子を扱う場合に比べ大幅にハンドリングコストを低減できる.
図3-5-2に,富岳においてノードあたり4,300万格子を用いたFFXのWeak Scaleベンチマークテストの結果を示す.富岳32,768ノードを用いて,4.4 PFLOPSを達成している.実効性能の絶対値は,「富岳」のほぼ全系を用いたFFBの性能と比較して低いが,FFXではグリッドあたりに使用するメモリ容量がFFBに対して少なく,したがってノードあたりのグリッド数を多くすることができ,「富岳」の約3.3万ノードを使用して1兆格子を超える計算が可能である.1.4兆格子の計算の1ステップあたりの計算時間は0.08秒であった.LBMは陽解法であり時間刻みが小さく,時間ステップ数が長くなるが,典型的な時間ステップ数を100万ステップ程度とすると,ケースあたりの計算時間は22時間程度である.
FFXの精度検証のため,角柱周り流れのLES解析を実施した.角柱長さDおよび主流速さUをベースとするレイノルズ数は2×104である.格子幅Δ/Dは2×10-3であり,格子数は約1,300億である.図3-5-3に角柱に作用する流体力の時刻歴を示す.抵抗係数は2.15であり,計測値2.22および同じ解像で実施したFFBによる抵抗係数2.06と近い値となっている.また,揚力係数の変動値(計測:1.45,FFB:1.37,FFX:1.26)およびそのストローハル数(計測:0.134,FFB:0.125,FFX:0.119)についてもそれぞれ近い値になっており,FFXはFFBと同程度の計算精度があることを確認している.図3-5-4に角柱近傍の主流方向速度および渦度の瞬時分布の比較を示す.本検証計算では,全領域で同一の格子幅を用いているが,FFXでは階層的な解像度を有するCubeデータの作成やそれを用いた計算をサポートしているので,今後は壁面近傍に高解像度計算格子を配置した,複雑形状を対象とした実証解析を実施する予定である.
図3-5-3 角柱周り流れ計算における流体力の時刻歴
主流方向速度 | 渦度 |
図3-5-4 角柱周り流れ計算における角柱近傍の主流方向速度の瞬時場
〔山出 吉伸 みずほリサーチ&テクノロジーズ,飯田 明由 豊橋技術科学大学,加藤 千幸 東京大学〕
3.6 マルチスケール(マテリアル関係)
2021年7月のNature Materialsに「Mesoscopic and multiscale modelling in materials」と冠したレビュー記事が掲載されており(1),均質化法や準連続体力学(Quasi- Continuum, QC)など,異なるスケール間の材料挙動に関する研究が整理されている.この記事の分類によれば,材料のマルチスケールモデルは下位→上位スケールのUpscaling methodと,上位→下位のResolved-scale methodに分けられ,Upscalingは均質化法を代表とする数学ベース手法,高分子の粗視化モデルのような物理ベース手法,そして近年は機械学習やAIを活用したデータ駆動手法が試みられている.Resolved-scaleは,有限要素法における要素分割で「必要なところに細かいメッシュを用いる」考えを原子スケールまで適用したQCのような領域分割型と,複合材料の繊維束(ミクログリッド),織物構造(メゾグリッド),複合材料全体(マクログリッド)をそれぞれリンクさせながら別々に解析するマルチグリッド型に分けられている.
2021年度の研究動向を,機械学会論文集と,2021年9月にオンラインで行われたCMD2021のプログラム・予稿集から調査した.2021年度の機械学会論文集に掲載された論文の,材料力学・機械材料・材料加工,および,計算力学のカテゴリでは,均質化法による構造最適化の論文が2件(2)(3)発表されている.分子動力学・静力学による原子シミュレーション研究は,我々のグループによる異種金属界面のはく離強度に関する研究(4)と,異種材接合角部の等価臨界応力拡大係数の推定に関する研究(5)の2件である.小林・垂水のWeitzenböck多様体による刃状転位のモデル化(6)は,離散的な原子構造の乱れである転位を連続体で表現するもので,数学ベースのUpscaling研究に分けられる.ストランドと心綱からなるワイヤロープの有限要素モデリング(7)は,先述の複合材料のマルチグリッド解析に分類される.他に,多孔質遮熱コーティング材料の応力状態を,引張試験時の画像データから有限要素解析で評価した研究(8), セラミックス材料の焼成ひずみを考慮した有限要素解析(9), 非常に柔らかい弾性体に生じる表面不安定現象(表面のしわ)の有限要素解析(10), そして原子レベルの熱輸送現象を記述するための非フーリエ熱伝導方程式と動熱弾性方程式の連成解析(11)などが報告されている.
CMD2021では2つのOS「材料の組織・強度に関するマルチスケールアナリシス」と「電子・原子・マルチシミュレーションに基づく材料特性評価」の合同セッションが開催され,3日間で計48件の研究発表がなされた.そのうち,手法に関しては有限要素法(FEM)が23件,分子動力学法(MD)が18件,第一原理計算が3件,離散転位動力学が2件,AIや機械学習を用いた研究が3件あり(重複および示していない分類もあるので合計は講演件数とは一致しない),対象でカウントすると金属結晶材料が17件,転位構造が11件,キンク変形が4件,高分子材料が4件,ナノカーボン材料が4件,複合材料が3件,他にアモルファス材料,摩擦,粗視化手法,ソフトマテリアルなどに2件ずつ発表があった.また,OS「フェーズフィールド法と関連トピックス」の研究発表に,フェーズフィールド(PF)で結晶格子を表現するPFC(Phase Field Crystal)法による研究や,MD法と連成させた研究が散見される.OS「固体と構造体の非線形・衝撃・不安定解析フロンティア」でも,第一原理計算を学習データとしてニューラルネットワークによりMDの原子間ポテンシャルを構築し,二元系金属の特性評価をした研究が報告されている.
〔屋代 如月 岐阜大学〕
3.7 計算バイオメカニクス
3.7.1 概況
計算バイオメカニクスは,生体内で生じる様々な生命現象を数理モデルとして表現し,コンピュータシミュレーションを用いてその振舞いを再現・予測することにより,現象の理解や医療への応用を目指す学問分野である.当該分野の研究対象は,筋骨格系,循環器系,呼吸器系,消化器系と多岐に渡り,扱う空間スケールも,分子レベルから,細胞,組織,器官,全身レベルまで非常に幅広い.第34回計算力学講演会(2021年9月21日~23日,オンライン開催)をはじめ,日本機械学会が主催して2021年に開催された国内学会を対象に,計算バイオメカニクスに関連する講演を調査すると,主な研究トピックとして,筋骨格系では骨リモデリング,インプラントなど,循環器系では心臓,血管,赤血球,血流など,呼吸器系では気道,肺葉など,消化器系では嚥下,胃の蠕動などが挙げられる.また,国際計算力学連合(IACM)が主催する世界最大規模の国際会議World Congress in Computational Mechanics(WCCM)において,バイオメカニクス・メカノバイオロジーに関連するミニシンポジウムを調査すると,WCCM2020(2021年1月11日~15日,オンライン開催)では18件,WCCM2022(2022年7月31日~8月5日,横浜にて開催予定)では26件が企画されており,世界的に見ても計算バイオメカニクス分野研究のアクティビティの高さが伺える.WCCM2020とWCCM2022におけるミニシンポジウムの企画内容の変化に目を向けると,継続して分子・細胞から組織・器官までのマルチスケール・マルチフィジックス解析に基づく研究が活発に行われてる一方で,新たに機械学習の活用が急速に進展していることが伺える.さらに,従来から研究が盛んな筋骨格系や循環器系などに加え,脳神経系のメカニクスに関連する研究が増え始めたことは注目に値する.実際,2020年には,脳の発生,生理,機能,病理に関する理論的,実験的,計算的,臨床的理解を目指した学際的な国際学術雑誌「Brain Multiphysics」が創刊されるなど,複雑な脳の構造や機能を,コンピュータシミュレーションを援用することで解き明かそうとする機運が高まりつつあると考えられる.そこで本稿では,近年,特に発展が著しい脳の形態形成過程におけるしわ形成に関する研究と,形態形成と同様に組織の形態変化をともなう生命現象として,古くから着目されている骨リモデリングに関する研究を取り上げ,両研究の進展状況について概説する.
3.7.2 脳のしわ形成の計算バイオメカニクス
脳のしわ構造の異常は,様々な脳神経疾患と関連していることから,しわ形成を含む脳の形態形成メカニズムを,数理モデルとシミュレーションにより理解しようとする研究が盛んに行われている.脳のしわ形成は,基本的に脳表面の皮質層の成長がその内側の白質層の成長を上回るために,力学的不安定性が生じて座屈することに起因すると考えられている.したがって,これまでに構築されてきた脳のしわ形成の数理モデルは,そのほとんどが連続体力学の枠組みで記述された有限成長理論に基づいている.皮質-白質間の偏差成長は,脳のしわ形成を引き起こす主たる要因ではあるものの,しわの詳細な形状やパターンの決定には,頭蓋骨や髄膜による変形の拘束,皮質層における不均一な成長,白質層における神経線維の張力,さらには,形態形成の進行にともなう組織の材料定数の空間分布の変化などが関与していると考えられている.そこで近年では,従来の有限成長理論に,上述した様々な因子を考慮した数理モデルが数多く提案されている(1).例えば,皮質層の成長とその内部の細胞の分裂・移動を関連付けることにより,細胞密度に依存した不均一な皮質の成長や剛性を表現した数理モデルが構築されてる(2)(3).また,皮質層の厚さの空間的な不均一性を考慮することにより,複雑なしわパターンが生み出されることが示されている(4).さらに,白質層における神経線維の密度を考慮した数理モデルを用い,それが皮質の複雑なしわパターンの決定因子となり得ることが示唆されている(5).以上の研究は,すべて大脳皮質のしわ形成を対象としたものであるが,細胞の分裂・移動を考慮した数理モデルを用い,小脳皮質における脳回(小脳葉)の伸長メカニズムを調べる研究も行われている(6).このような取り組みを踏まえ,今後は,コンピュータ上で実際の脳に見られる詳細なしわパターンを再現することを当面の目標に,脳形態形成の分子機構や細胞動態など,生化学的な側面の数理モデル化がさらに進展すると予想される.
3.7.3 骨リモデリングの計算バイオメカニクス
コンピュータシミュレーションを用いた骨リモデリング研究は,骨の構造が力学環境に適応するよう変化するというWolffの法則を基礎として,1980年代後半頃から始まった.生理的な荷重による骨の変形は微小であることから,現在までに構築されてきた骨リモデリングの数理モデルのほとんどは,骨の力学状態の解析に,微小変形を仮定した線形弾性理論を用いている.近年では,コンピュータの計算性能の向上にともない,骨リモデリングの力学的な側面のみならず,骨代謝における複雑な分子・細胞動態を考慮した力学-生化学連成数理モデルの発展が著しく,長期間に渡る骨の構造変化を,高い空間解像度でシミュレーションすることが可能となっている(7).例えば,高解像度CT画像を基に構築したヒト脛骨の海綿骨モデルを対象としてリモデリングシミュレーションを行い,その微細構造の変化を生体内実験と比較する研究が行われている(8).臨床応用を目指した研究も積極的に進められており,骨リモデリングの数理モデルを用いて,大腿骨インプラント周囲の骨密度変化が調べられている(9).また,コンピュータシミュレーションを援用し,骨疾患に対する薬物治療効果や治療戦略を探求する研究も活発であり,例えば,薬物動態/薬力学的モデルを組み込んだ骨リモデリングの1次元数理モデルを用い,閉経後骨粗しょう症に対する休薬効果を調べた研究(10)や,薬物治療と運動との相互作用を調べた研究(11),さらには,ヒトの骨生検データを基に構築した3次元骨モデルを対象として骨粗しょう症治療薬の効果を調べ,臨床試験の結果と比較した研究(12)などが挙げられる.以上のように,骨代謝に関する生物学的な理解の深化とともに,骨リモデリングの数理モデルはいっそう複雑さを増しており,今後は,データ同化等の手法を駆使し,シミュレーションによる予測精度を向上させるための取り組みが期待される.
〔亀尾 佳貴 京都大学〕
3.8 逆問題・データ同化・最適化
結果から原因を推定する枠組みの逆問題,観測値に基づき数理モデルを通じて状態量の推定を行うデータ同化, 性能が最適となるように設計変数を変化させる最適化の研究分野の動向について説明する.逆問題やデータ同化は確率論に基づいてコスト関数や尤度の最大化問題としても捉えることができ(他の工学問題にも当てはまるかも知れないが)これら3つの分野は最適解を求めることが目的となり,このプロセスで同様の数値解析法を用いる共通項がある.最適解を求めるためには,評価関数や尤度に基づく勾配法を用いるアプローチ,カルマンフィルタを始めとする逐次ベイズフィルタを用いるアプローチ,モンテカルロ法などのサンプリング,遺伝的アルゴリズムを用いるアプローチなどがある.
ここで一例として計算力学分野のトップジャーナルの一つであるJournal of Computational Physics(JCP)において2021年に発表された論文を”Inverse problems”, “Data assimilation”, “Optimal Design”というキーワードで絞り込んだ結果から,逆問題,データ同化,および,最適化研究の近年の動向を調べた.この際,調べる過程で過去の年における検索件数が2020年度および2021年度の本記事の数と異なったが,二重引用符の有無の違いなどであると考えており,ここでは二重引用符を付して得られた結果を用いた.” Inverse problem ”では69件がヒットしており(1),ベイズ統計学に基づく統計的な逆問題解法の提案,ニューラルネットワークの利用,Koopman作用素や乱択アルゴリズムの利用によるより効率的な逆問題解法の提案が発表されている.”Data assimilation”では18件がヒットした(2).オートエンコーダなどの機械学習を用いてモデルを援用して,データ同化を行うフレームワークの提案,データ同化に利用するフィルタ手法の高度化,離散経験的内挿法(DEIM法)による低次元モデルの利用による高速化などが発表されている.”Optimal design”では12件がヒットした(3).多項式カオスやクリギングなどの代替モデルの利用による最適化の効率化や不確定性まで含めた評価法などが提案されている.全体を見渡すと,機械学習を用いた解析の高速化が継続的に発表されているように見受けられ,本分野においても機械学習の重要性が増していると言える.
次に国内の動向を見る.前年度からの新型コロナウイルスに関連する社会状況の影響のため,オンラインツールを利用して実施された第34回計算力学講演会での発表を概観する(4).計算力学講演会における関連オーガナイズドセッションとして,「逆問題とデータ同化の最新展開」が企画され,7件の発表があった.発表内容としては,データ同化に関する発表やトポロジー最適化に関する発表があり,機械学習を援用した逆解析などもみられた.また代替モデルを利用した最適化の高速化を行う研究をまとめたオーガナイズドセッション「サロゲートモデルによる解析・最適化・不確定性評価」も企画され,9件の発表があった.このセッションの中では最適化関連の研究が6件,内1件がトポロジー最適化の発表であった.トポロジー最適化の研究は様々なオーガナイズドセッションでみられており,各分野でツールとして利用され始めていることが伺われる.
逆問題・データ同化・最適化はこれまで計算負荷が高かったためにこれまでその利用が限られてきた.しかしながら本年度の動向から,機械学習や代替モデルの援用による高速化研究が精力的に進められている様子が伺われる.このような技術を利用することで,より多くのユーザに利用されることが期待される.
〔野々村 拓 東北大学)
3.9 機械学習と計算力学の融合
機械学習は入力データと出力データとの関係性を再現することを通じて有益な情報を取得するための技術である.その関係性を再現する際には深層学習(ディープラーニング)などの機械学習のモデル(アルゴリズム)を利用し,訓練データ(説明変数と目的変数が対になったデータセット)に当てはまるようそのモデル固有のパラメータ(ハイパーパラメータ)を決定(同定)する.パラメータの定まったモデルに新たな説明変数データを入力することで目的変数の値を瞬時に算出(予測)でき,その過程を通して有益な情報を得ることができる.このように機械学習はデータに基づいた帰納的手法である.予測精度は訓練データの質と量に大きく依存するものの,ゴム材料の配合設計のように支配方程式が存在しない分野にも適用できる利点がある.一方,計算力学は支配方程式(数学モデル)から導いた数値モデルを用いる演繹的手法であり,支配方程式や前提条件が成立する範囲では妥当な予測結果が期待できる.機械学習と計算力学は相補的な技術であり,それらの融合によって新たな技術領域が展開され,ひいては産業界の技術革新(製品・プロセス・サービス)が加速されると考えられる.本節では,機械学習と計算力学の融合に関する研究動向の一端を紹介する.
FEM(Finite Element Method;有限要素法)に代表される計算力学シミュレーション(以下,シミュレーションと記す)はHPC(High-Performance Computing)の進化と共に計算対象の精緻化(大規模化やマルチスケール)や複合領域化(マルチフィジクス)によって予測の高度化が図られてきた.一方,例えば自動車の衝突安全性のように複数の目的変数を考慮した非線形問題の最適化(逆問題)では目的変数の計算時間短縮が命題であり,機械学習などで作成したサロゲートモデル(代理モデル)と呼ばれる近似モデルが目的変数の算出に利用される.機械工学の分野でもサロゲートモデルという名称が定着してきたが,サロゲートモデルは応答局面やメタモデルとも呼ばれ,予測性能と共に訓練データの準備が主な研究課題となっている.第34回計算力学講演会では,衝突安全性能評価のためのサロゲートモデルに関する研究(1)や,サロゲートモデル作成のためのデータ拡張に関する研究(2)が報告された.また,支配方程式に基づいたシミュレーションデータで訓練したサロゲートモデルであっても,そのモデルは支配方程式を満足するものではない.その問題を解決するために支配方程式を機械学習の損失関数として定義するPINN(Physics-Informed Neural Network)が提案された(3).PINNに関しては,2次元非圧縮流れを対象とし観測データに強いノイズを含む逆問題への適用例(4)や損失関数に重みを付与することで学習と予測のロバスト性の向上を図った研究(5)が報告され,さらに,弾性問題と弾塑性問題を対象とした研究(6)も報告された.一方,Minamiらが提案した転移学習技術(7)に着目し,あらかじめシミュレーションデータで訓練したモデル(ソースモデル)と実測データの双方を利用してモデル(ターゲットモデル)を訓練する研究(8)も報告された.
さて,Society5.0(9)では「サイバー空間とフィジカル空間を高度に融合させたシステムにより,経済発展と社会的課題の解決を両立する,人間中心の社会」の実現を目標としている.このサイバー空間とフィジカル空間が融合したCPS(Cyber Physical Space)あるいはデジタルツインの実現において,機械学習と計算力学(シミュレーション)の融合は紛れもなくコア技術となる.データ同化(10)は主に流体分野で活用されるベイズモデリング(状態空間モデル)に基づいたサイバー空間とフィジカル空間との融合技術であるが,データ同化をフェーズフィールド法による結晶成長へ適用した研究が報告された(11)(12).また,NEDOのAIアクションプラン(13)において「シミュレーション×AI技術の開発」と「AIによるシミュレーションが活用されていない分野の同定と,その分野への展開の重要性」が提案された.その提案に呼応するかのように2022年度の人工知能学会全国大会(14)では「AI・シミュレーション融合研究の展望と戦略」の企画セッションと「シミュレーションとAI」のオーガナイズドセッションが企画された.AIアクションプランには「スモールデータを的確に扱うための転移学習技術の確立」も課題の一つとして挙げられている.ここで,スモールデータとは機械学習のために十分とはいえない少数データを称しているが,転移学習はサイバー空間とフィジカル空間を融合する技術とみなせることも示された(8).
一方,材料開発の分野では,機械学習を利用した材料探索を目的とした高分子材料の物性データベースをシミュレーション(分子動力学)によって構築する研究(15)がスタートした.シミュレーションや機械学習による物性値の予測精度は不十分かもしれないが,かつて見たことのない広大な設計空間を俯瞰することで得られる情報はその後の高分子材料開発に多大なインパクトを与えると期待される.産業界での応用や社会実装に向け,機械学習とシミュレーション(計算力学)の融合は今後様々な分野で推進されるであろう.
〔小石 正隆 横浜ゴム(株)〕
3.10 産業界での計算力学
デジタル化が進む製造業の設計開発では,試作・実験をシミュレーションに置き換えることは製品性能の向上,開発期間の短縮,省人効率化などの観点から競争力の源泉である.新たな機能を発現させる原理を着想したり,問題のメカニズムを深堀りして品質高く設計したりするには,現象をできるだけそのままコンピュータ上で再現できるようなマルチフィジックス(1)やマルチスケールの詳細なモデリングが効果的である(2)(3).一方で,性能や信頼性の最高水準を追求したり,代表的な形状だけでなく製造ばらつきに対して頑健な設計をしたりするには,多くの設計変数を自動で変えながらシミュレーション上で形状最適化するのがよい(4).
実際にシミュレーションとこれを活用した最適化は産業界でどの程度実用されているだろうか.これをシミュレーションが特許出願に利用された割合(SP-index(5):技術用語と”Simulation”などのシミュレーションに係る語とをAND検索したときのヒット数を技術用語単独のヒット数で除した値)で簡便に推定した.図3-9-1に,2020年のFortune Global 500(6)に記載の自動車・部品(Motor Vehicles & Parts)および産業機器(Industrial Machinery)の合計32社に対して求めた2011年から2021年までのSP-indexを示す.図3-9-1aのSP-indexは,「自動車(automotive)」や「ガスタービン(gas turbine)」などの語を含む特許のなかで「シミュレーション(Simulation)」が含まれる割合である.図3-9-1aをみると,日本の製造業11社のなかで計8社が上位半分に位置しており,日本企業は海外企業と比べてもシミュレーションを設計開発に盛んに活用しているといえる.例えば,モビリティ電動化に関しては,静粛性を高精度に解析するための流体騒音の格子ボルツマン法解析(7)や,エンジン部品設計を効率化するための点火プラグ温度の燃焼連携解析(8)などが報告されている.また,非定常乱流シミュレーションの計算時間と精度のトレードオフを改善するために乱流モデルを機械学習器で代替する手法も研究されている(9).さらに,車両全体の広範な被水状況(10)や鋼板上での反応を詳細解析(11)するなどして複雑な腐食をシミュレーションで評価する技術の開発も行われてきた.このように工学上の問題を原理原則に立ち返り,詳細なシミュレーションで試作実験を代替したりメカニズムを解明したりすることは日本が得意するところといえそうだ.
一方で,図3-9-1bは上記の「シミュレーション」が含まれる特許のなかでさらに「最適化」が含まれる割合である.一転して日本の製造業11社のなかの計10社が下位半分に位置してしまう.これはシミュレーションを用いて設計変数を最適化すること(シミュレーション最適化)が得意ではない状況を表していると解釈できる.産業界で実用的なシミュレーション最適化には,商用の最適化支援ソフトウェアのアルゴリズムに従って幾何形状を変化させながら構造・電磁・流体シミュレーションなどを行う方法(12)(13),事前に計画実行した多様な結果から構築した代理モデルを用いる方法(14)-(16),さらには随伴変数法(17)やトポロジー最適化(18)など支配方程式から導出した感度に従って膨大な変数を最適化させる方法などがある.これらが十分に活用されていない理由として,ビジネス戦略上で最適化が主要な競争要因ではないということだけではなく,設計変数の変更にCADモデルが追従しない,モデルが頑健でないために形状や境界条件を変更すると計算が発散してしまう,最適化問題の設計や自動化方法などそもそも最適化のやり方が分からない,などソフトウェアのスキルや経験に問題を抱える場合も少なくない(19).
個別事象のシミュレーションとこれを用いた設計変数の最適化(シミュレーション最適化)は計算機支援工学(CAE:Computer Aided Engineering)の両輪である.試作・実験は技術の基本原理や性能だけではなく耐久性や品質なども評価できるため,これを代替するには全てのモデル(例えば圧力損失を評価する流体モデルや機械強度の材料・構造モデルなど)に同程度の実用的な精度と計算時間が必要になる.すなわち,“ドベネックの桶(20)”のように最も要求水準に満たないところがシミュレーション最適化の限界を決めてしまう.従って,シミュレーション最適化の効果を最大化するには,多様なモデルをそれぞれ個別にみて計算精度や時間を追求するのではなく,評価項目を事前に洗い出し,実験と計算の双方の不確かさ(1)(21)(22)を把握しながらボトルネックになるモデルの改善に努めることが肝要になる.
計算機の演算力について“Top500(23)”を参照すると,2021年の1位から500位までの計算機システムの最高演算速度は平均6,073 TFLOPSであり10年前の2011年に比べて41倍になっている.同様に,航空・電機・電子・エネルギー・自動車関係会社の計算機システムは平均6,211 TFLOPS(同83倍)であり,CAEなどのモノづくり用途はその一部だとしても,詳細シミュレーションや大規模なパラメータ探索などに実施できる計算機環境は整いつつある.しかし,実際の設計現場への普及・定着には,モデルの精度・演算時間といった純粋な計算力学に係る問題だけではなく,シミュレーションそのものへのリテラシーやソフトウェアの使いやすさ,ライセンス費などが課題であることも少なくないと実感している.製造業の国際競争力を堅持するにはシミュレーションの最適な活用が不可欠であり,そのためには計算力学領域の主要課題としてこれらの課題に向き合っていく必要がある.
図3-9-1 自動車・部品(Motor Vehicles & Parts)および産業機器(Industrial Machinery)の合計32社に対して求めた2011年から2021年までのSP-index
〔栗本 直規 (株)デンソー〕