4.バイオエンジニアリング
4.1 はじめに
バイオエンジニアリング部門では,1987年の部門発足以来,機械工学を基盤とした研究が進められている.毎年バイオエンジニアリング講演会とバイオフロンティア講演会を開催し,部門メンバーに研究発表の場を提供している.前者はシンポジウム形式の講演会であり,最先端の研究成果を一堂に集めている.後者は次世代を担う若手研究者や大学院生の研究交流の場となっている.これらの部門講演会および年次大会では,医学系学会との連携や,韓国機械学会との連携などを学会・部門レベルで継続的に行っている.また,スポーツ工学・ヒューマンダイナミクス部門やマイクロ・ナノ工学部門をはじめとする部門間連携を進め,新領域を開拓している.さらに,部門英文ジャーナル(Journal of Biomechanical Science and Engineering)の刊行や,Asian-Pacific Association for Biomechanicsとの連携,World Council of Biomechanicsとの連携など,国際交流活動も積極的に推進している.
バイオエンジニアリングは,機械工学の知見を基盤としつつ,生命科学との協働による新たな価値創出が期待される分野であり,今後も学術研究と産業応用の両面からさらなる発展が望まれる.本年鑑は,当部門がカバーする研究分野を3分野17テーマに分類し,そのテーマのいくつかを紹介するように企画されている.本年度は,「バイオメカニカルエンジニアリング」分野から「筋骨格のバイオメカニクス」と「循環器のバイオメカニクス」,「バイオメディカルエンジニアリング・ライフサポート工学」分野から「リハビリテーション工学・福祉工学」と「治療機器」,「バイオテクノロジー・バイオインフォマティクス」分野から「遺伝子工学・バイオインフォマティクス」のテーマを取り上げ,各専門家に最近の研究動向をまとめて頂いた.
〔石川 拓司 東北大学〕
4.2 筋骨格系のバイオメカニクス
筋骨格系のバイオメカニクスの研究として,これまでも筋肉・骨の組織スケール,細胞・分子スケールを対象とした理論,計測,実験,計算シミュレーション等に基づく取り組みがなされてきた.加えて,各スケールの相互作用から達成される力学的機能を解明する試み,運動学や動力学を取り込んだ臨床(特に整形外科,歯科),福祉,スポーツの分野における課題解決を目指す試み等が,盛んに進められている.第35回バイオフロンティア講演会(2024年12月,横浜)でも,筋骨格に関連するセッションが5件,筋や関節の組織も含めると筋骨格系に関連した演題は約40件程度あった(1).これらの演題において,福祉やスポーツの分野における身体各部の動作解析のほか,人工関節の力学状態に関する研究や,生体内の骨・靭帯・筋の挙動に関する議論が行われた.
全身の身体動作解析に関連した研究動向としては,2000年代後半に提案された筋疲労・回復の数理モデル(2,3)を端緒として,2020年代に入り,筋疲労・回復を考慮した人体筋骨格シミュレーションが取り組まれ始めている.筋電図等との比較による生理学的正確性に関する議論のほか,筋疲労・回復の状態が実際の身体動作の変化に及ぼす影響(4)に関する議論も行われている.作業負担軽減やリハビリ等のトレーニングを目的としたアシストスーツの研究開発も活性化している.これに伴い,2020年以降,人‐デバイス系の筋骨格モデルを用いた,アシストスーツ等のデバイス使用者の身体負担の評価も取り組まれて始めている(5,6).特に,個別の骨形状と歩容に応じた膝関節アシスト器具の有効性解析(7)においては,骨の力学特性(弾性率・異方性・クリープ等)のデータとX線CTやMRI画像による骨・靱帯・筋の個別動態計測・解析を連動させた,有限要素法による身体内部の力学解析を,さらにモーションキャプチャシステムによる身体動作計測を反映した人体筋骨格モデルに入力し,議論が行われている.このように,従来は別々に発展してきた技術や知見のすべてを統合した新たな次元の筋骨格系のバイオメカニクス研究も始まっている.全身筋骨格モデルの順動力学的アプローチとして,身体運動戦略の予測モデルの研究開発や応用(8,9)も引き続き進められている.
国内では,2018年から本学会の講習会「筋骨格モデルによるバイオメカニクス解析入門」が開始した.毎回参加者が定員に達し,2025年現在も好評継続中である(10).この講習会はバイオメカニクスの初学者をターゲットとして,筋骨格モデルの基礎の解説と,その応用例を具体的に紹介し,さらに解析ソフトウェアを用いたPC実習まで行うことにより,参加者に理解を深めてもらうことを目的としている.コロナ禍以降はオンライン開催としており,毎年最新の筋骨格系の研究事例紹介も行っている.
総じて,筋骨格系のバイオメカニクス研究は,計算機とシミュレーション技術の発展に伴い,多様なスケールの議論が並行して進展している.また,それらの知見を統合したアプローチの研究も進み始めている.細胞・臨床・福祉・スポーツなど従来取り組まれていた領域のみならず,産業衛生や予防医療など健康な一般人を視野に入れた領域においても研究が盛んになり始めている.今後,各領域におけるアプローチを相互に取り入れることにより,研究がさらに発展すると期待される.
〔倉元 昭季 東京科学大学〕
4.3 循環器のバイオメカニクス
循環器のバイオメカニクスは,心臓や血管を中心とする循環器系において生じる血流や拍動,血圧,循環器系組織の変形といった力学的現象を対象とし,それらの構造的・機能的背景を工学的手法によって定量的に理解しようとする学際的研究分野である.対象は,循環動態の解析にとどまらず,心筋や血管壁に加わる応力・変形,それに対する細胞・組織レベルの応答にも及ぶ.解析には,流体力学や固体力学,計算モデリングなどの手法が用いられ,得られた知見は,循環器疾患の病態解明,予測,診断・治療法の開発,さらには医療機器設計にも応用される.近年では,分子から臓器にわたるマルチスケール解析や,AI・デジタルツイン技術との融合といった新たな展開が進みつつあり,循環器医療の高度化に向けた貢献が期待されている.
国際的な研究動向の把握のために,バイオメカニクス分野を広くカバーする主要雑誌であるJournal of BiomechanicsおよびAnnals of Biomedical Engineeringに掲載された論文を調査した.生物医学系文献データベースであるPubMedの検索機能を用いて,2020年から2024年にかけての各年における両誌の掲載論文総数と「cardiovascular」「heart」「hemodynamics」「artery」「aorta」「blood flow」などのキーワードにより抽出した循環器関連論文数を整理し,その割合を表4-3-1に示す.Journal of Biomechanicsでは約11〜15%,Annals of Biomedical Engineeringでは約23〜28%の割合で循環器関連論文が掲載されており,いずれの雑誌でも高い水準を維持している.また,Journal of Biomechanicsでは2024年に「Multiscale Modeling of Vascular Adaptation」と題する特集号(1)が企画され,血管リモデリングに関する多階層(分子,細胞,組織,器官)モデリングに基づくバイオメカニクス研究が幅広く取り上げられた.この特集では,病理的条件下での血管構造の適応や,数理モデルによる疾患予測・治療効果の評価などが議論されており,臨床応用を見据えた先端的取り組みとして注目を集めている.
表4-3-1 主要国際誌における循環器関連論文数の推移
| Journal of Biomechanics | Annals of Biomedical Engineering | |||||
| 発行年 | 循環器 | 総数 | 割合(%) | 循環器 | 総数 | 割合(%) |
| 2024 | 60 | 474 | 12.66 | 82 | 353 | 23.23 |
| 2023 | 49 | 392 | 12.50 | 92 | 369 | 24.93 |
| 2022 | 61 | 404 | 15.10 | 60 | 217 | 27.65 |
| 2021 | 94 | 631 | 14.90 | 81 | 299 | 27.09 |
| 2020 | 65 | 595 | 10.92 | 83 | 353 | 23.51 |
国内においても,循環器バイオメカニクスに関する研究発表や議論の場が広がっており,2024年度に開催された日本機械学会主催の主要講演会では以下のような動向が見られた.第36回バイオエンジニアリング講演会(2024年5月,名古屋工業大学)(2)では,全13件のうち4件が循環器バイオメカニクスに関連したオーガナイズドセッションであった.話題は,脳循環,血栓,細胞レベルの適応応答など多岐にわたる.年次大会(2024年9月,愛媛大学)(3)では,ワークショップ「循環器疾患の治療デバイス・治療法の進展と工学への期待」が開催され,心筋の力学特性評価や冠動脈における血流解析など,力学的視点からの循環器疾患理解に関する研究が紹介された.第35回バイオフロンティア講演会(2024年12月,横浜国立大学)(4)では,「循環器」と明示されたセッションが全42セッション中4件存在し,それらに含まれる演題数は17件(全196件中)であった.ただし,細胞,組織や医療機器など他のセッションにおいても循環器に関連する研究発表が多数含まれており,循環器バイオメカニクスに対する関心の広がりがうかがえる.また,第88回日本循環器学会学術集会(2024年3月,神戸)(5)においては,日本機械学会との合同シンポジウム「より良い医療の実現に向けた医工連携」が開催され,学会横断的な連携が進展している.
こうした学会活動に加え,国が推進する研究プロジェクトにおいても循環器バイオメカニクスは注目されており,ここでは代表的な2つを紹介する.1つ目は,令和5~7年度文部科学省科学研究費助成事業 学術変革領域研究(B)「しなやかさ生物学:生命はなぜ『しなやか』なのか?」(2023〜2025年度)(6)である.このプロジェクトでは,力やpH,温度といった外的ストレスに対する生体の適応能力を「しなやかさ」と定義し,その分子機構の解明を目指している.とりわけ心臓は,血行力学的負荷に応じて構造や機能を柔軟に調節する必要がある臓器であり,その基盤となるのが心筋細胞の適応能力である.哺乳類の心筋細胞は生後まもなく分裂能をほとんど失うため,心臓が血圧などの力学的ストレスに応答して機能を維持するためには,個々の心筋細胞が構造や機能を適応させる必要がある(7).細胞応答機構とその破綻による疾患発症の解明に向けて,ストレス受容の起点となる膜微小環境に注目している点がこのプロジェクトの特徴である.特に,ストレスが加わる以前の膜微小環境の構造や力学的特性が,ストレス受容時の細胞応答や適応性を規定しているという仮説のもと,その実体を明らかにする取り組みが進められている.膜微小環境は,細胞膜を構成する脂質,その直下に広がる細胞骨格,膜を介した接着構造(接着斑),さらには膜内外のイオン環境など,複数の要素から構成される.膜微小環境における各構成要素の状態や力学的特性が,ストレスが加わった際の細胞の応答性や適応性をどのように規定しているのかを明らかにすることで,細胞の「しなやかさ」の本質に迫る研究が展開されている.こうした知見は,ストレス応答の破綻により発症する心疾患の理解にもつながると期待される.もう1つは,文部科学省スーパーコンピュータ「富岳」成果創出加速プログラム「『富岳』で実現するヒト脳循環デジタルツイン」(8)である.このプロジェクトでは,血液,脳脊髄液を含む脳循環障害に関わる局所および全体の循環変化を高精度に予測するため,脳循環のデジタルツインの構築を目指している.in silicoモデルの開発,臨床データの収集,計算解析によるモデル同化(9),および機械学習を用いた代理モデルの構築が並行して進められており,今後,より複雑な循環系への応用が加速されることが期待される.
以上のように,国内外において循環器バイオメカニクスは多様な手法とアプローチにより発展を続けており,基礎から応用,工学から医学にまたがる学際的な連携が今後さらに重要になると考えられる.また,力学的知見の臨床応用や個別化医療への展開を見据えた研究の進展も期待される.
〔氏原 嘉洋 名古屋工業大学〕
4.4 リハビリテーション工学・福祉工学
2024年における日本の総人口に占める高齢者(65歳以上)の割合は29.3%であり,我が国のほぼ3割が高齢者である(1).高齢化は日本だけに起きていることではなく,ヨーロッパ(特にイタリア,ドイツなど)やアジア(韓国,中国など)にもみられる世界共通の課題と言える(2).今に始まったことではなく,ずいぶん前から言われてきたことである.よってこのような時代においてリハビリテーション工学・福祉工学の果たす役割は大きく,2001年に日本機械学会機械力学・制御部門主催により福祉工学シンポジウムがスタートした.その後,バイオエンジニアリング部門も加わり,日本機械学会複数部門の共催として開催され,参加者も増加した.2012年からはさらにすそ野を広げ,生活生命支援医療福祉工学系学会連合大会(LIFE)の名称で日本機械学会,ライフサポート学会,日本生活支援工学会の3学会合同大会として開催して現在に至っている.このように複数学会の共催として開催されるに至った福祉工学シンポジウムにみられるよう,リハビリテーション工学・福祉工学に関する研究はすそ野が広く,日本機械学会だけにとどまらず,多岐にわたる研究者による共同研究によるところが大きいことを物語っている.LIFE2024(2024年9月,東京)は,生体医工学シンポジウム(日本生体医工学会が毎年開催)と併催された.15件のオーガナイズドセッションが企画され,生体医工学シンポジウムと合わせて合計372件の発表が行われた(3).運動計測,生体信号処理等,工学的アプローチに関する研究から,リハビリテーション・ヘルスケア,義肢,障害支援等,実際の臨床に直面した研究までをカバーしており,さらには,福祉機器の調査,地域看護,在宅支援に関するセッションも設けられ,基礎研究から臨床まで見た内容である印象を受けた.中でも注目は,「ニューロリハビリテーション」として企画されたオーガナイズドセッションである.リハビリテーションの最も難しい部分の一つである,脳からの信号指令に着目した研究発表がなされた.これらの学会の変遷を見ても,工学者による基礎研究と臨床現場におられる方との共同研究の必要性が強く感じられる.
日本機械学会においては,2024年度年次大会(2024年9月,愛媛)にて,「医工学テクノロジーによる医療福祉機器開発」と題したオーガナイズドセッションが組まれた.さらには,「脚と足のライフサポート」と題する一般公開市民フォーラムも行われ,福祉・リハビリテーション領域における機械工学の重要性が感じられた.スポーツ工学ヒューマンダイナミクス部門とバイオエンジニアリング部門合同の先端技術フォーラムも企画され,スポーツ,リハビリ,バイオエンジニアリングに関して,ここでも臨床と基礎研究における共同研究の必要性を感じさせられた(4).日本機械学会第36回バイオエンジニアリング講演会(2024年5月,名古屋)において企画された「臨床バイオメカニクス学会との合同セッション」においては,実際にリハビリテーションに関わっておられる理学療法士の方からの発表2件が行われた.投球時における肩関節痛に焦点を当てた内容であり,昨今話題となっている野球の肩肘障害とその運動計測の重要性が発表された(5).両学会における合同セッションは,第51回臨床バイオメカニクス学会(2024年11月,大阪)においても「日本機械学会バイオエンジニアリング部門とのジョイントシンポジウム」として企画され,運動計測を中心に最新技術の紹介があり,リハビリテーションにおける計測技術の重要性が再認識させられた.これら両学会における合同企画に共通して言えることとして,運動計測装置が簡易になりつつあることである.現状,非侵襲での最も正確な運動計測は,皮膚にマーカーを貼付し赤外線カメラを使用するモーションキャプチャシステムである.関節角度計測のみに限れば,ひずみゲージ式のゴニオメータも正確性は高い.しかし,これらのセンサを使用する場合は,多くの準備を要することが難点である.そこでこれらの準備を省略するため,慣性センサを用いた計測装置や,普通に撮影したカメラ映像から画像処理と機械学習等を使用して骨格の動きを推定する手法など,被検者に負担の少ない運動計測が普及しているという印象である.リハビリテーションの第一段階は,現状の正確な把握,つまり運動計測であるといえる.そのため,被検者に負担の少ない運動計測技術の普及は大きなメリットである.しかし,これら普及しつつある簡易運動計測システムの正確性についてはまだまだ発展途上であり,今後も新たな計測技術が現れるのではないかと予想する.いずれにしても,簡便な運動計測技術はリハビリテーションを行う臨床現場において必要であることは疑いようのないことである.
学術論文においても福祉工学やリハビリテーション工学関連の論文は多く見られる.本学会の英文誌であるJournal of Biomechanical Science and Engineeringに,2024年に22本の論文が掲載された.それらの中には,手の関節症に関する研究,埋め込み可能なヘルスモニタリングデバイス,筆記の補助器具の開発等,福祉工学に関する研究が多く見受けられた.また筋骨格モデルを用いた筋力推定や慣性センサを用いた歩行計測の研究論文も掲載され,リハビリテーション工学における計測技術の応用が期待される.さらに加えて,頭部衝撃の計測技術,脳震盪における脳の歪み予想,頸部の安定性に関する研究等,頭部障害に対する研究が複数見られた点も注目しておきたい(6).
〔比嘉 昌 兵庫県立大学〕
4.5 治療機器
4.5.1 医療機器の概況
薬機法第2条第4項において,医療機器は「人若しくは動物の疾病の診断,治療若しくは予防に使用されること,又は人若しくは動物の身体の構造若しくは機能に影響を及ぼすことが目的とされている機械器具等(再生医療等製品を除く.)であって,政令で定めるものをいう」と定義されている.この医療機器は,製造販売規制の観点から,人体へのリスクの程度によってクラスIからクラスIVまでの4つに分類されている.一方,用途や機能の観点からは,①診断系医療機器(画像診断システム,生体現象計測・監視システムなど),②治療系医療機器(処置用機器,生体機能補助・代行機器など),③その他医療機器(歯科用機器,眼科用品など)に分類できる.
2023年の医療機器の世界市場は約5176億ドルであり,このうちアメリカが47%,次いでドイツ7%,中国6%と続き,日本は5%を占めている(1).2019年から2023年まで年6.0%の平均成長率で成長してきたこの市場は,2024年から2028年においても年5.8%の拡大が見込まれている.
厚生労働省の統計では,2023年の日本の医療機器市場は4兆5491億円であり,そのうち「治療及びその関連機器」が54%,次いで「診断及びその関連機器」が18%,「眼科用品及びその関連機器」が8%,「歯科用品及びその関連機器」が6%を占めている(2).日本の市場の平均成長率は年3.7%であり,アメリカ(6.4%),欧州(5.1%),日本を除くアジア地域(6.3%)と比較すると低いが,継続的な成長が見られる.しかし,国内製造出荷額は大きく変化していない.これは,国内市場の成長の大部分が医療機器の輸入に頼っていることを意味する.
4.5.2 治療系医療機器の動向
治療系医療機器には,前項のように「処置用機器」,「生体機能補助・代行機器」がある他,「治療用又は手術用機器」,「鋼製器具」が含まれる.それぞれの分類や製品例については,機械工学年鑑2022(3)に述べられているので割愛するが,簡単なチューブ,カテーテル,注射器に始まり,先端機器である手術ロボットや放射線・粒子線治療に関する装置までが含まれる.
新しいトレンドとしては,これまで疾患の画像診断などを支援するために開発されてきたソフトウェア機器(Software as a Medical Device,SaMD)が,日本国内でも治療に直接効果を発揮する治療用プログラム医療機器(治療用アプリ)として認められるようになったことが挙げられる.治療用アプリの取り組みはアメリカが先行しており,2010年に糖尿病治療補助アプリBlueStar(4)がFDA(アメリカ食品医薬品局)からクラスII医療機器の認証を得ている.患者が血糖値や服薬の記録を入力し,それを医療者と共有するとともに患者の行動変容を促すことによって,アプリ単体として糖尿病治療の改善効果が認められている.
日本国内初の治療用アプリは,臨床試験や治験を経て2020年8月に薬事承認,同12月に保険収載されたニコチン依存症治療アプリ(5)である.これはニコチン依存症と診断された患者に処方される治療用スマホアプリと呼気一酸化炭素濃度測定器(COチェッカー),さらに医師用アプリから構成されており,医師と対面で行う診察と診察の間の空白期間でもアプリが患者の行動変容を促してニコチンに対する心理的依存を緩和する.この治療用アプリの使用によって治療開始から52週までに継続的に禁煙できた患者の割合が有意に高かったことが臨床試験で確かめられている(6).この他にも高血圧治療補助アプリ(7)(2022年承認),不眠障害用アプリ(8)(2023年承認,保険未収載)など,治療用の医療機器としてのアプリ開発が相次いでいる.このような治療用プログラム医療機器は従来の薬剤よりも開発コストが圧倒的に低いため,日本の大手製薬会社もこの分野に注目している.たとえば,偏頭痛,アルツハイマー病,自閉スペクトラム症,うつ病,パーキンソン病などを治療・支援するアプリについて,国内外のスタートアップ企業への投資や提携が進められている.
治療用プログラム医療機器はソフトウェアであり,人体に対する侵襲性は低いのが一般的である.また,早期に臨床現場で使われることによって性能向上が加速する場合があることから,二段階承認制度が導入されている.つまり,最終的に目標とする臨床的意義や医学的判断基準が確立されていない段階でも目的や効果の範囲を限定して第1段階承認を取得し,市販後に臨床現場でリアルワールドデータを得て第2段階承認を取得することができる.
今後,さまざまなソフトウェア,特に機械学習やAIを利用したソフトウェアは,画像診断や治療計画の支援に使われるだけでなく,治療系医療機器としても重要な役割を担うことが期待される.
〔藏田 耕作 九州大学〕
4.6 遺伝子工学・バイオインフォマティクス
4.6.1 遺伝子工学
2023年に,ゲノム編集を用いた治療法が,英国医薬品・医療製品規制庁(MHRA)により世界で初めて承認された(1).正常な赤血球・ヘモグロビンを作ることができなくなる「鎌状赤血球症」および「βサラセミア」の患者から造血幹細胞を取り出し,ゲノム編集した細胞を体内に戻す治療法である.このように,臨床の現場において,ゲノム編集が取り入れられはじめており,基礎研究においても,がん細胞に対して「CRISPRスクリーニング(2,3)」を行うことで,新しい治療薬のターゲットとなりうる遺伝子が探索されている.さらに,ナノ粒子を用いて特定の細胞にCRISPRを送達させる(4)などの試みもなされており,飲み薬により体内の特定の細胞に対してゲノム編集を行う可能性に関して期待が高まっている.
一方,ゲノム編集の応用にかかる懸念点も多い.例えば,ゲノム編集において標的とした配列と類似した配列でも編集される場合がある(オフターゲット効果と呼ばれる).このオフターゲット効果は,核内におけるDNAの二重らせんが緩んでいる場合に亢進することが2023年に指摘されており(5),2024年には,細胞核内の力学・生化学的環境に依存して,二重らせんが緩んだDNAが生じることが示唆された(6).ゲノム編集の安全性向上に向けて,例えば,DNAの二重らせん構造を工学的に制御するなど,新たなアプローチが必要になると考えられる.
2025年には,米国スタートアップ企業により,約1万3000年前に絶滅したダイアウルフと遺伝子的に非常に類似したオオカミをゲノム編集で誕生させることができたとの報告がなされた(7).また,より美味しい・栄養価の高い食品を目指したゲノム編集・流通も進んでおり,消費者の手に渡っている.このように,ゲノム編集は,生物多様性や農林水産業にも強く影響を及ぼしている.
以上のように,ゲノム編集によって社会に多くの恩恵がもたらされる可能性が高まっているが,倫理・安全に関する議論,および,課題解決に向けた医工学技術開発が,継続して求められるであろう.
4.6.2 バイオインフォマティクス
周囲の環境変化や薬剤投与に対する細胞の応答・適応の仕組みを理解することは,基礎的な生物学的知見を与えるだけでなく,医薬品開発においても重要である.時々刻々と変化する細胞内の情報を網羅的に抽出する手法として,バイオインフォマティクス(8,9)は非常に強力である.
細胞内から抽出可能な生体情報として,次世代シーケンシング(Next Generation Sequencing)により取得される転写産物の発現パターン(トランスクリプトーム)や,タンパク質の発現・リン酸化パターン(プロテオーム)が挙げられる.これらの時系列情報を蓄積・解析することで,細胞内における遺伝子の転写・翻訳の状態変化を理解することが可能となってきた.特に,転写産物については,1細胞ごとに分取して解析するシングルセル技術,組織切片を用いてありのまま解析する空間トランスクリプトーム技術(10,11)が発展してきた.1つ1つの細胞が,生体内環境においてどのような状態にあるか,そして,環境変化に応じてどのように状態を変化させるかについて,さらなる知見(情報)が得られることが期待される.
2024年には,miRNA(マイクロRNA)と転写後遺伝子制御に関する研究に基づき,ビクター・アンブロス博士とゲイリー・ラブカン博士がノーベル生理学・医学賞を受賞した(12).miRNAと呼ばれる,21~25塩基程度のノンコーディングRNAは,mRNA(メッセンジャーRNA)に結合することで翻訳を調整する重要な因子であり,核酸医薬におけるターゲットとしても注目されている.このmiRNAの発現パターンについても,バイオインフォマティクスによりさらなる理解が進められるであろう.
遺伝子の転写に大きな影響を与える,ゲノムDNAのフォールディング状態を理解する上でも,バイオインフォマティクスによるアプローチが有効である.これまで,遺伝子本体におけるDNAのフォールディング状態が,遺伝子転写に大きな影響を及ぼすこと,また,エンハンサー領域とプロモーター領域が近接することで,遺伝子転写が活性化することなどが報告されてきた.広く用いられるHi-C法(13)は,DNAとタンパク質をホルムアルデヒドで架橋したのち断片化し,近接したDNA領域をライゲーションし(つなぎ),次世代シーケンシングで読み出す手法である.これにより,近接したDNA領域をゲノムワイドでマッピングすることができる.さらに,MNase(Micrococcal nuclease)による酵素処理を用いた高解像度の解析手法(Micro-C法)が近年活用されている(14).
このように,2025年現在,細胞核内におけるDNAのフォールディング状態に関する情報を,遺伝子・タンパク質の発現パターンの情報と突き合わせることが可能になっており,細胞による遺伝子転写・翻訳の統一的理解に向けた世界的な取り組みが,今後さらに本格化すると期待できる.
〔牧 功一郎 京都大学〕