キーワード: 日本はものづくりで勝てないのか!?

第9回 材料をベースにものづくりの再強化

No.1246, https://www.jsme.or.jp/kaisi/1246-38/

前回までは幕末の鍋島直正、小栗忠順、そして戦後の鉄鋼業界・自動車産業界を例として日本のものづくりの黎明期とその発展について紹介してきた。今回から日本がものづくりで勝つために「材料をベースにものづくりの再強化」、「アナログとデジタルのハイブリッド化」そして、「ものづくりを支える国へ…Read More

第8回 戦後のものづくりへの思い

No.1245, https://www.jsme.or.jp/kaisi/1245-34/

大学と学会そして産業界の強い思い 明治維新に匹敵する波乱の時代が戦後の昭和二十~三十年代である。欧米に追い付こうとした明治以降の富国強兵策が脆くも破綻し、太平洋戦争で日本の多くが焦土と化してみじめの敗戦となった。この焼け跡から昭和二十六(1951)年、「第1回塑性加工研究会(世話…Read More

第7回 幕末・明治の教育への思い

No.1244, https://www.jsme.or.jp/kaisi/1244-36/

前回までは、鍋島・小栗・大隈ら“個人”の業績に焦点を当ててきた。幕末から明治にかけて、社会制度のみならず、教育制度も大きく変革されたがその際、誰が舵を取り、何を変革し、いかに現在に繋げたのかをたどってみたい。 幕府による昌平坂学問所·蕃書調所 昌平坂学問所「昌平黌」は寛政二(17…Read More

第6回 大隈重信の思い

No.1243, https://www.jsme.or.jp/kaisi/1243-34/

理系藩士でもあった政治家・大隈 大隈重信(図1右端)は、天保九年(1838年)に佐賀藩の四百石取りの上士(上級武士)の長男として生まれた。大隈家は代々砲術家として佐賀・鍋島家に仕えていた。父・信保も藩命で長崎に警護のために赴任していた。大隈は、家業とも言える砲術にとって重要な数学…Read More

第5回 小栗上野介忠順の思い

No.1242, https://www.jsme.or.jp/kaisi/1242-42/

遣米使節として米国に渡航 小栗上野介忠順(1)~(6)は文政十(1827)年、旗本・小栗忠高の子として旗本屋敷である江戸駿河台、現在の明大通りの角(図1)で生まれた。早くからその才を認められ、33歳の万延元(1860)年、大老・井伊直弼の推挙を受けて、幕府遣米使節の実質的なリーダ…Read More

第4回 鍋島直正の思い

No.1241, https://www.jsme.or.jp/kaisi/1241-32/

なぜ鍋島直正なのか 幕府の崩壊と明治維新、および太平洋戦争の敗戦は日本の運命を大きく変えた。今回の「日本の埋没」もこれらに匹敵する大きな変化と筆者は捉えている。したがって、これらの時代を生き抜いた偉人の生きざまが、今後の日本人の生き方に大変参考になる。 江戸時代後期は、成長はしな…Read More

第3回 教育力の衰退

No.1240, https://www.jsme.or.jp/kaisi/1240-44/

大学進学率および理工系への進学の少なさ あまり知られていないが、日本の大学進学率はOECD先進国平均60%よりも低い50%前後であり、最低部類に属する。また、先進国の大学進学者のうち理工系は4割、韓国・ドイツでは6割を超えているが、日本ではわずか2割強である。日本の8割に当たる文…Read More

第2回 日本のものづくりの衰退

No.1239, https://www.jsme.or.jp/kaisi/1239-40/

ものづくりの定義 「ものづくり」を文献(1)にしたがって、「設計の流れによって、顧客満足・企業利益・雇用確保を実現するための企業・産業・現場活動」と定義する。業態は大企業・中小零細企業のすべてを含む。例えば、自動車・電気電子機器・機械工業・鉄鋼を含む素材産業、などである。ただし、…Read More

第1回 限りなく続く国力の衰退

No.1238, https://www.jsme.or.jp/kaisi/1238-40/

国力の衰退 高坂正堯が40年前に執筆した『文明が衰亡するとき』(1)に「ヴヱネツィアは、かつて地中海を支配する大強国であったが、最後はナポレオンの脅迫の前にあっさり屈して18世紀末に国が消滅した。16世紀以降、階級が固定し、貴族階級が国を支配するようになるが、その貴族が結婚しなく…Read More