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2024/9 Vol.127

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学会賞受賞論文のポイント

メカニズムよりも都合優先で誕生した物理特性タイヤモデル

豊島 貴行〔(株)ホンダ・レーシング〕

2023年度日本機械学会賞(論文)受賞

タイヤ物理特性モデルのトレッド部のモデル化に関する研究
(TM Tire Modelの理論的妥当性の検証)
豊島 貴行, 松澤 俊明, 穗髙 武, 樋口 英生
日本機械学会論文集, 2021 年 87 巻 898 号 p. 21-00003
DOI: 10.1299/transjsme.21-00003

研究背景

「従来にない新しいコンセプトをもつ自動車の開発をスタートさせるにあたり、装着するタイヤはどれがよいか?」…自動車のシャシエンジニアにとってこの問いかけは、今日においても難易度が高いと思う。新しいコンセプトならば、重量や寸法だけでなく、駆動方式やステアリング機構、サスペンション機構も従来とは異なる可能性が高く、見た目はよく似た自動車があっても、それに装着されたタイヤが相応しいとは限らない。つまりお手本がない状況で、新型車に相応しいタイヤを机上で決定するということだ。

筆者がコーナリングスティフネスに着目した物理特性タイヤモデルを研究するに至ったのは、上記問題を解決したいという思いからであった。発端は今から25年以上も前のこと。当時FIALA Modelや補正係数を加えたFIALA+A Modelが、コーナリングスティフネスに着目した仕様検討に有効な物理特性タイヤモデルであることは知っていた。特にFIALA+A Modelはコーナリングスティフネスの近似精度が比較的高く、操舵応答特性の計算ならばMF Tyreのような実験同定モデルを用いなくても同等の精度で計算結果を手軽に得ることができ、とても便利であった(1)。しかし操安性の性能設計を繰り返していると、既存の物理特性タイヤモデルでは満足のいく結果が得られないケースがしばしば生じ、その頻度は時代とともに増してゆくという印象を持っていた。そんなはがゆい状況の中で発表されたのがNeo-FIALA Modelであった(2)。Neo-FIALA Modelはそれまでのタイヤに纏わるいくつかの課題を解決していたので、その衝撃は大変なものだった(図1)。しかし操安性の性能設計に適用する観点では、より簡便なモデルの方が扱いやすいという思いもあった。操安性の性能設計に適した新たな物理特性タイヤモデルは、自ら構築しなければならないと決心したのは2010年代前半頃だった。

図1 タイヤの仕様検討

達成手法

物理特性タイヤモデルについて、新たな概念を打ち立てるならば、タイヤの現物や現象をあらためて注意深く観察し、既存概念の見落としや見誤りを分析し、本質を鋭く洞察することで新たな概念を“発見する”…という手順で進めるのが正統な方法と当時筆者は考えていた。しかし、考察の対象が転動中のタイヤ接地面に起きている現象となると、正統な方法には限界があった。複雑な物性を示すゴム材料に加え、タイヤ自体もいろいろな部材で複雑に構成される複合材であり、さらに転動中のタイヤ接地部分に生じている複雑な現象を観察する術が手近にないという状況だったからである。そこで選んだ方法が、詳細なメカニズムはともかく、良好な結果が得られる物理特性タイヤモデルを“発明する”ということであった。メカニズムはよくわからないが、とにかく数式をこう修正すれば不思議と良好な結果が得られるようになる。…という試行錯誤の果てに考案された物理特性タイヤモデルが、筆者らが提案するTM Tire Modelとなった。

結果

試行錯誤的に都合優先で誕生したTM Tire Modelなので、およそ考えられる数式上の修正はすべて試した。したがって性能設計に適している(構造がシンプルで同定が容易であり、なおかつ近似精度が高い)という観点で、TM Tire Modelを凌ぐ新たな物理特性タイヤモデルを考案するのは容易でないと思う。結果的にFIALA Modelを構成する三つの剛性要素に四つ目の剛性要素を加えたのみであり(図2)、これだけで性能設計に対して十分な精度でほぼすべてのサイズのタイヤに対してモデル同定が可能となった(図3)

図2 TM Tire Model

図3 各タイヤモデルの同定能力比較

考察

とはいえ試行錯誤のご都合主義で考案された物理特性タイヤモデルにしては、ほとんど例外なくあらゆるタイヤに対して精度よく同定できることが不思議だった。特に既存の物理特性タイヤモデルが苦手とする低偏平タイヤほど、TM Tire Modelの同定能力の高さが顕著になることがわかると、別の疑問が湧いてきた。都合で付加した4番目の剛性要素であるが、実はこれこそタイヤの本質を物語っている剛性要素なのではないか…という疑問である。多くのデータを用いて統計的に分析する一方で、この4番目の剛性要素を実際にコーナリング中のタイヤから見出すことが本研究の軸となった(3)。検証のために、台上試験機による実験と合わせて特別詳細に構築したFEM Modelによる分析も行った。

気がついてみれば簡単なことかもしれないが、それまで1種類の剛性要素として解釈していたトレッド部を、2種類の剛性要素として解釈することでブレイクスルーした。ヒントになったのは桑山氏らから発表された接地面に関する研究論文である(4)。具体的にはトレッドの剛性を接地長の二乗に比例する剛性要素と接地長に比例する剛性要素の組み合わせと捉えることであった(5)。余談だが、TM Tire ModelのTMとはTread Mechanicsの頭文字をとったもので、トレッドモデルの修正に由来している。最初にTM Tire Modelが登場する2019年末の機械学会論文の著者である筆者と、共著である松澤氏の頭文字を合わせてTMとした…という噂をだいぶあとになってから耳にした。ナルホド…と、とても気に入っている噂話のひとつである。

本研究成果への思いと今後の展望

TM Tire Modelのアイデアを実際の開発へ最初に適用したのは松澤氏だが、タイヤも含めたシャシの仕様検討を実際の開発現場で実現したことは、本研究の最大の成果だと思う。現時点においてもTM Tire Modelはほぼ例外なく、ほとんどのタイヤに適用することが可能であり、優れた同定能力を発揮している。今後はタイヤのゴム物性や構造の観点から、摩耗やNV特性さらには転がり抵抗など、コーナリング特性以外のタイヤ特性の関係について、TM Tire Modelの概念を応用し、開発の初期段階からそれらを両立させるための検討ができる設計技術を研究することが課題と考えている。


参考文献

(1) 田中克則, 景山一郎, 車両運動力学とタイヤ構造力学に基づくタイヤ設計手法に関する研究, 日本ゴム協会誌, Vol.79, No.4, (2006), pp. 225-230.

(2) 宮下直士, 解析的タイヤモデルによる過渡コーナリング特性の取り扱い、自動車技術会論文集, Vol. 44, No. 6, (2013), pp. 1392-1396.

(3) 豊島貴行, 松澤俊明, 酒井智紀, 穂高武, 吉澤強太, 樋口英生, 転動タイヤの接地面における横力とトレッド変形のメカニズムに関する研究, 自動車技術会論文集, Vol. 54, No. 3, (2023), pp. 602-607.

(4) 桑山勲, 松本浩幸, 平郡久司, タイヤ踏面内剪断力分布の計測技術と可視化技術, 自動車技術会論文集, Vol. 44, No. 2, (2013), pp. 479-484.

(5) 豊島貴行, 松澤俊明, 穂高武, 樋口英生, コーナリングスティフネス特性に影響を与えるタイヤトレッド仕様の研究, 自動車技術会論文集, Vol. 54, No. 5, (2023), pp. 835-841.


<正員>

豊島 貴行

◎(株)ホンダ・レーシング チーフエンジニア

◎専門:機械工学・制御工学・タイヤ工学

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