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2017/3 Vol.120

【表紙の絵】
「おはないっぱいさかせロボット」
内田 侑希ちゃん(当時5 歳)
大好きなお花をいっぱい咲かせてくれるロボットがあったらいいな。

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ほっとカンパニー 〜世界で活躍する元気な特別員を紹介〜

(株)パイオラックス 弾性部品で自動車・暮らし・医療をサポート

日本にはこんなスゴイ会社がある

現代の生活で、ばねは必需品である。ボールペンやホッチキスなどの日用品をはじめ、生活を支えるさまざまな製品にばねという弾性部品が使われている。(株)パイオラックスは、創業以来80年以上にわたり「弾性」ひとすじ。自動車の部品、生活関連、医療関連で弾性を基とする製品を研究開発し製造販売している。しかも、金属製と樹脂製の両方の製品を開発・製造できるのが大きな強みだ。

時代がばねを必要とした

創業者の加藤三郎は、父の失職で、生活のため、わずか14歳で社会の荒波にさらされることになった。まず、洋服店や薪炭店で働いた。その後は、ばねを取り扱う商店で御用聞きや配送係として働くようになった。これが三郎とばねとの出会いになった。三郎は子供の頃から読書が大好きで、仕事の合間には「子供の科学」やSF 小説をよく読んでいた。彼は本から、科学の知識を身につけていったという。一方、その商店の経営者はひどい人で、三郎はほとんど無給で働いていた。そんな逆境にも負けず、彼は真心を持って商談などの仕事に取り組み、確実に顧客を獲得していく。

そんな中で、商店主が商売不熱心なため、会社の存続が難しくなり、注文を受けても納品ができない事態に陥った。この事態にばねの納品先の会社から、三郎が独立して工場を引き継げば注文を出すという提案がきた。こうして三郎は独立を決意し、1933年に「加藤発条製作所」を創業。三郎が22歳の時だった。当時の日本は、1932年には日産自動車の前身が、1937年にはトヨタ自動車が設立されるなど、自動車産業の萌芽が生まれる黎明期だった。その中で、加藤発条は本格的な小物ばね企業として機能した。優秀なセールスマンでもあった三郎は、日本フォードとの取引を成功させるなど、受注開拓にも力を注いだ。その結果、工場は増え、会社は大きくなっていった。

そして戦後の復興後、乗用車の需要は急速に広がり、さらに日本は自動車輸出国となる。自動車用金属ばねを生産する三郎の会社は、この大発展の中で揺るぎない地位を確立していった。

1964年頃から、自動車メーカーでは、金属ばねを樹脂製にかえる傾向が出てきた。「サビない」「軽い」など、樹脂には金属にはない優れた特性があるからだ。三郎の会社では、この自動車業界の流れを察知し、1969年頃から樹脂ファスナ(留め具)類の開発・製造に取り組み始めた。こうして、金属製品と樹脂製品との両方を提供できる体制が確立された。

1982年には、古河電工と東洋リビングとの共同研究で、日本で初めて、Ni-Ti の形状記憶合金を使った工業製品(全自動電子乾燥保管庫)の実用化に成功するなど、常に時代の先端を走っていく。その後、扱っている商品が、ばねだけに留まらなくなったため、1995年に「パイオラックス」という社名に変更した。これは「弾性を想像するパイオニア」という意味から作った造語で、社内で公募して決めたという。

圧縮コイルばね

 

世界シェアナンバー1! 大発明品エアダンパー

ばねは、私たちの目に見えないところで役立っている。シャワーから出てくる湯と水の調節で苦労したことはないだろうか。1994年に開発した「混合水栓」は、形状記憶合金のばねを活用して、自動でお湯の温度を調節する大ヒット商品。今も量産している。「ちょっとした使いやすさや便利がキーワードで、開発をやっている」のだそうだ。

だが、パイオラックスにはこれ以上の大発明がある。「エアダンパー」だ。自動車のグローブボックスが、ゆっくりとスムーズに、動くようにする開閉部品である。グローブボックスの中に本など重たい物が入っていると、重みでふたは勢いよくバタンと開く。「音がうるさいし、危ないし、高級感がない」との声があがり、開発を始めた。こうして30年くらい前にエアダンパーが発明された。これが売れたのだ!

この製品の元となる画期的なアイデアは、ばねのかわりに空気を使ったことである。発想のもとになったのは注射器だ。樹脂製のシリンダーの中は空洞で、先にオリフィス(小さな穴)があいていて、とても軽い。エアダンパーはグローブボックスの横側に付いている。ふたを開けると、シリンダーに空気が少しずつ入り、ピストンが動き、ふたがゆっくりと開くという仕組みだ。

実際にエアダンパーを触らせてもらった。ピストンを引くと、オリフィスからシリンダーの中に空気が入る。ピストンを強い力で引っぱると、ピストンは強い力で抵抗する。弱い力で引っぱると、弱い力で抵抗する。この仕組みにより、ほぼ一定の速度でグローブボックスが開くようになるのだ。実はエアダンパーは現在、第三世代目。なんと世界シェアナンバー1 の製品だという。

初代ひも式ダンパー(上)
二代目エアダンパー(中)
三代目WR ダンパー単品(下)

 

エアダンパー開発の歴史

第一世代はひも式のエアダンパー。ピストンの代わりに、ひもを使っていた。十数個の部品で構成されていて、金属のばね(たるんだひもを元に戻すために使う)も使われているため、少し重い。開発当初は全ての車種向けだったが、現在は高級車向けのエアダンパーとして使われている。オリフィスの大きさやばねの種類を変えて組み合わせると、1車種1種類の、繊細で最高のフィーリングを設計できるからだそうだ。

さて、最初は密閉する技術などが難しかったため、第一世代はひも式になった。だが、その技術が確立したため、約20年前に第二世代が開発された。見た目はあまり変わっていないが、部品が「シリンダー+バルブ(オリフィスのあいている部分)+ピストン」の3部品だけとなり、とてもシンプルな構造になった。重量も12gと、とても軽い。大きいグローブボックスではシリンダーが太くないと、ふたが重いため支えられない。そこで、いろいろな大きさのグローブボックスに対応できるように、オリフィスの大きさやシリンダーの太さなど、さまざまなバリエーションのものが用意された。

第三世代は、ワイドレンジダンパーと呼ばれている。開発されたのは5年くらい前だ。第二世代とはちがい、どんな大きさのグローブボックスにも、1 つのエアダンパーで対応できるように開発された。シリンダーの外だけではなく、中にもオリフィスがある。現在は、多くのメーカーにこの第三世代が使われている。

パイオラックスの挑戦

1988年に初の海外進出をアメリカで果たし、グローバル企業への歩みが始まった。現在、アメリカ・メキシコ・イギリス・韓国・タイ・中国・インド・インドネシアに、生産工場とセールス拠点を置いている。

そしてさらに、新たな分野を開拓するため、1995年頃から医療関連部門を立ち上げた。ここでは樹脂や形状記憶合金などを使って、大学や医療用機関とともに、弾性を利用した医療用器具を開発している。

製品開発のポイントは、自らニーズを探し出すこと。開発部隊は営業と一緒にお客様の会社や工場を回り、ニーズをリサーチする。その中からどうすればお客様の要望を実現できるか、みんなで知恵を出し合う。車でも医療現場でも、幅広くいろいろなニーズを聞いて、なるべく汎用性があるものの開発を進めている。

だが、気になるのは自動車産業の行方である。電気自動車や自動運転技術の開発はセンサーやソフトが中心で、機械的な部分が少なくなってきた。このまま電気自動車にシフトしていくと、トランスミッションが簡素化・小型化されるため、必要なばねの数が激減するのだそうだ。
しかし、今回話を伺った技術者たちからは「将来も弾性技術で世界をリードする!」という強い意気込みが伝わってきた。ばねの可能性は無限大。思ってもみなかった使い道が秘められているに違いない。それを発見しようとするパイオラックスは、まさしく、弾性を想像するパイオニアなのだ。

今回、取材に協力いただいた皆さん
(写真左から、松尾さん、鈴木さん、吉田さん、山田さん、加藤さん)

(取材・文 山田ふしぎ)

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