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2017/5 Vol.120

【表紙の絵】
「なかまを増やすロボット」
乙成 華菜 さん(当時10 歳)
このロボットは、はんしょくするロボットです。人が少ない年齢はどこかをみて、大人でも自分より年上じゃなければうむことができ、少子化を防げます。(一部抜粋)

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歴史資料館 ~我が国の近代化と学会~

第3回 近代化を推進した山尾庸三

福澤 清和

「近代化三策」での働き

今回はもう少し歴史を遡る。幕末から明治初頭にかけて我が国は国内外の政治的内紛・騒擾の渦中にあった。その中で、列強の脅威に対抗するために、「文明開化・近代化」が急がれた。そのために、徳川幕府(各藩独自も)と明治新政府が執った方策は大きく三つに分けられる。

(1)海外への指導者層の洋行や若手の海外留学(狙い/日本人が直接海外に触れる・人材育成等)(資料1)
実例⇒日米修好通商条約批准の代表団派遣(1860年)や岩倉使節団、オランダ他への留学生派遣や密航等
(2)お雇い外国人の活用(狙い/西洋諸国の外国人を雇い、知識・情報の広範な摂取)
実例⇒技術導入でヴェルニー、ブリューナ等、医術でベルツ、教師としてダイアー、コンドル他の雇用
(3)近代的な組織や施設の造成・構築(狙い/殖産興業のための、西洋に倣ったインフラの構築)
実例⇒横須賀製鉄所、富岡製糸場等官営工場の建設、工部省工学寮・工部大学校等の設置他

長州藩士で、幕末に藩の密命で英国に渡航した長州五傑の中で地味な存在の山尾庸三(資料2)は、5年間の留学を終えて明治維新の年に帰国した。その後、工部省や工部大學校樹立に尽力し、グラスゴーの同窓、弱冠25歳のH.ダイアー(英)を同校のお雇いに迎えるなど活躍し、上記3つの策による工学・工業の近代化に大きな貢献をしたことから「工学の父」と言われている。

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