日本機械学会サイト

目次に戻る

2022/9 Vol.125

バックナンバー

学会賞受賞論文のポイント

「制動感」はブレーキだけで決まるのか?

2021年度日本機械学会賞(論文)受賞

車両の過渡姿勢が制動感に及ぼす影響に関する研究

門崎 司朗, 加納 民夫, 森本 知昭, 渡部 大治

日本機械学会論文集, 2020, 86 巻, 890 号, p. 20-00053.

DOI: 10.1299/transjsme.20-00053


ブレーキを踏んだ時の車両姿勢というと、読者はどういうものを想像するだろうか。おそらく図1のようにフロントが沈んでつんのめるようなクルマを思い浮かべるだろう(絵では後のタイヤが浮いているが、実際の乗用車は余程いろいろな条件が重ならない限り、ブレーキを踏んだだけで車輪は浮かないのでご安心を)。本記事では、制動時の車両姿勢変化とブレーキフィーリングの関係に関する研究を紹介する。

図1 急ブレーキのイメージ

 

動かないのがいいのか、それとも…

制動時の車両姿勢はどういうものがいいのだろうか。議論する中で二つの仮説(主張)に集約される。

まず、ひとつめ。図1ほどではないにしても、制動時にはピッチング(車体の左右を軸にした回転運動)が発生するが、自動車のサスペンションにはピッチングを抑制する機能があり、極端な姿勢変化を起きにくくしている。図2でこのメカニズムを説明する。制動時には力の作用点であるタイヤ接地点と車両重心がオフセットしているため、ピッチモーメントMyが生じる。一方、サスペンションの瞬間中心と接地点の関係により、制動時に前輪には伸びようとする力(アンチダイブ力)が、後輪には縮もうとする力(アンチリフト力)が発生するため、Myとは逆向きのモーメントが生じる。このサスペンション設計の意図は「制動時の姿勢変化をなるべく小さくしたい」に他ならない。そもそもドライバがブレーキを踏むのはクルマを減速させたいからであって、関係のない姿勢変化はない方がいい、というのが「動かないのがいい派」の主張である。

図2 制動時のサスペンションの働き

 

一方で、ブレーキを踏んでも全くピッチしないなんて不自然でフィーリングも良くないはずだ、と唱えるものもいる。ハンドル操作時の運動に目を向けると、ドライバの目的は「曲がる」だが、旋回と直接関係のないロール(車体の前後を軸にした回転運動)の姿勢も重要視される。さらに、酒井らの研究(1)によって、ロールとピッチの位相差が旋回の評価に影響することも明らかになっている。酒井先生はこれを「スイカの塩理論」と命名された。すなわち、スイカ=旋回、塩=ロール・ピッチ。塩によってスイカが美味く感じられても、人は「この塩おいしい」とは言わない(この理論、先生の論文にも記載はございません)。ブレーキを踏んだ時にもちょうどいい塩加減(=姿勢変化)があるのではないか。これが「ちょうどいい動きがある派」の主張である。

いや、ブレーキはなにも変えていないんですが

二つの主張に決着をつけるべく、著者らはアクティブサスペンション搭載車による実験を行った。通常の乗用車のサスペンションはバネやダンパといったメカ部品で構成されているが、この実験車は電子制御でサスストロークを制御することが可能である。側面視の車両運動はピッチのほかにヒーブ(上下運動)があり、この2自由度の運動を任意に制御する手法を開発して実験を行った。

図3に評価に用いた制御仕様を示す。横軸にピッチの減衰比を、縦軸にヒーブの減衰比をとり、標準的車両に相当する(A)の仕様を基準として、それぞれの減衰比の大小の組み合わせ(B)〜(E)の計5パターンを乗り比べた。この図は右上に行くほど動きにくく逆に左下にいくほど動きやすいこと示しているので、「動かないのがいい派」の主張が正しければ(B)の評価が最も高いはずである。

はたして、テストドライバはそろって(E)に最も高い評価を与えた。曰く「安心できる。しっかりしている」「初期からぐっと効く」「非常に操作しやすい」である。一方(B)については姿勢変化の小ささは好評だったものの、「効きが鈍い」「効き始めが分かりにくい」といったコメントが目立ち、中には「ペダルが固くて踏み込みにくい」という声まであった。車両の動き方を変えただけでペダルの感じ方まで変わってしまうとは、大変な驚きであったが、いずれにしても、ピッチの動きを抑えヒーブ方向にはあえて動きやすくする、というのが美味しいブレーキフィーリングを生み出す塩加減であるということが判明した。

図3 実験で用いた姿勢制御仕様

あれ? 自由度が足りない

次に着手したのは、この「ちょうどいい動き」をブレーキ制御で実現する手法の開発である(アクティブサスペンションは大変高価なシステムなので、多くのお客様にお届けするためには他の選択肢が必要)。

ブレーキ制御で車両姿勢をコントロールするには、図2のサスペンションのメカニズムを利用する。例えばヒーブ方向に動かしたければ、前輪のアンチダイブ力を小さく後輪のアンチリフト力を大きく、つまり制動力を後輪側に配分すればよい。側面視2自由度の運動に対し、前輪後輪独立制御の2自由度であるから、任意の姿勢に制御可能という理屈である。…というのは全くの早計で、もうひとつの大事な前後運動という自由度への配慮が不可欠である。「動かないのがいい派」の主張を持ち出すまでもなく、ブレーキを踏むそもそもの目的は「減速」である。スイカにかける塩のことばかり考えていて肝心のスイカの味のことを忘れていたようなものある。

さて、ではどうやって制御自由度の不足を補えば良いだろうか。もう一度図2をじっくり眺めてみよう。直接制御可能なのは前後輪の制動力Fxf ,Fxrであるが、これをθf(アンチダイブ角)とθr(アンチリフト角)によって上下方向の力に変換することで、ヒーブ力やピッチモーメントを生み出すものである。そこで、これらのサスペンション諸元(ジオメトリ)も制御自由度のひとつと考えることで、疑似的に3自由度の制御を実現できるのではないか、というのが著者らの考えである。ジオメトリは他の性能との背反から設計自由度は大きくはないが、試行錯誤の末、一般的なθf rの範囲内で前後運動に影響を与えず図3(E)の「ピッチ減衰大・ヒーブ減衰小」を実現する制御手法を見出すことができた。この制御を織り込んだ車両は、効き・操作性・車両姿勢がもたらす安心感のすべてにおいて、アクティブサス実験車同様の高い評価が得られた。

論文には書けなかったこと

最後に、実験で数多くのドライバの横に乗って感じたことをお伝えしたい。それは、車両姿勢を変えるとドライバのブレーキの踏み方が変わってしまう(少なくとも著者はそう感じた)ことである。一見おかしなことだが、人間をひとつのシステムと考えると、入力(視覚・体感)が変われば出力(操作)が変わっても不思議ではないように思える。車両の制御も面白いが、ドライバがどう感じてどう操作するか、そのメカニズムはさらに興味深い。機械学会誌に「機械より人間が面白い」と書くのはいかがなものか、とは思うけれど。


参考文献

(1) 酒井 英樹,山本 泰,過渡的な旋回感覚を強調する減衰力制御――カルマンフィルタを用いたロール・ピッチ同期化制御――,自動車技術会論文集,Vol. 43、 No. 3 (2012), pp. 709-716.


<フェロー>

門崎 司朗

◎トヨタ自動車(株) 先進モビリティシステム開発部 主査

◎専門:車両運動制御

キーワード: