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2018/4 Vol.121

【表紙の絵】
「あいするこころロボット!!」
齋藤 佑陽 くん(当時5 歳)
人間ができないことが何でもできる
ロボットがあったらいいな。

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座談会

「オリンピックメダリストへと導いた水着開発」

参加者:星 奈津美(ミズノスイムチーム)、島名 孝次・田中 啓之(ミズノ)

インタビュアー:瀬尾 和哉(山形大学)

 

2020年東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定し、スポーツへの関心が日々高まっている。そんな中、スポーツ用具の研究・開発において、機械工学の役割が社会に認知され始めており、機械工学の研究成果がスポーツ用具とアスリートたちの技術的向上に貢献している。

今回、元競泳選手である星 奈津美* 氏とミズノ所属の技術者 島名氏・田中氏から、メダル獲得に向けた水着開発への想いを聞いた。


*200mバタフライ 日本記録保持者(2分04秒69)

世界水泳2015カザン200mバタフライ-金メダリスト

オリンピック2012ロンドン/2016リオデジャネイロ200mバタフライ-銅メダリスト


水着論争が起きた時代

瀬尾:まず、普段のお仕事について、ミズノでどんな活動をされているのでしょうか?

星:私はミズノスイムチームに所属をして、水泳の普及活動を第一に行っています。東京オリンピック・パラリンピックの全国展開で、水泳教室などの外部のイベントや学校の講演会でお話しするなどの活動が今はメインです。

田中:私はアパレルのプロダクト部門で、開発部門に所属し、生地の開発から製品の設計まで携わっています。水着に関しては2008年の北京オリンピック以降、競泳選手用の水着から、一般の方用の水着まで関わっています。

島名:私は研究開発部門で、田中よりももう少し川上の仕事です。例えば、水の抵抗が少ない姿勢を実験やシミュレーションから導き出していきます。皮膚がどんなふうに伸びるか、あるいは筋骨格モデルのようなシミュレーションを使ってどう設計したら選手が一番泳ぎやすいか、走りやすいか、ということをプロダクト部門に設計提案しています。

田中:私が水着の担当になったのが、2008年10月。ちょうど北京オリンピック後の頃で、水着が社会問題になっていた時です。当時は島名を含めた開発メンバーと一緒に「どうやって速く泳げる水着を作るか」という議論を行っていました。星さんにはミズノ入社前の、契約選手だった頃から水着を着てもらい、意見を交換していたので長い付き合いです。

星:2008年頃は本当にいろんなことがありましたが、「私はミズノの水着を着たい」と言って、試合にも着て臨んでいました。

瀬尾:イギリスのSPEEDO社が開発した水着『レーザー・レーサー』が登場した頃ですね。それ自体は認められているわけだから、堂々と着ることはできたと思いますが。

田中:当時、日本選手の多くがミズノ、アシックス、デサントの3社から選んでいたのですが、レーザー・レーサーが出てきたことからいろんな議論がありました。おそらくみんな「何を着るべきかよくわからない」という状態だったと思います。

瀬尾:星さんが高校3年生の時ですね。ミズノの水着を着たいと思った理由は何ですか?

星:一番着やすくて好きだったんです。ただ、レーザー・レーサーは「着るだけ着てみたら?」とコーチに言われたこともあり、北京オリンピックの本番を迎える前に一度試合に着て出てみたことがあります。そうしたら、100mバタフライで自己ベストが出て。その頃、レーザー・レーサーを選ぶ選手も周りにはとても多かったので、単純に「やっぱり速いのかなあ、この水着」とは思いました。でも着心地の点でいうと、きつくて一人では着られないといったストレスもあった。「オリンピックでこういうことが起こったら多分焦るし、動じるだろうな」とは思いましたね。

瀬尾:水着の基本はもちろん「脱げない」「破れない」ですよね。

田中:そうですね。破れないことを原則として開発を進めています。あくまでもいいタイムを出し、試合で勝つことを中心に考えると、着心地や、姿勢保持の考え方が上にきますね。

星:選手によって違いますね、そこの優先順位は。

水着ルールの制定とメーカーの苦悩

瀬尾:2008年の頃から、水着はどう変わってきたのでしょうか?

田中:まず2008 〜 2009年にかけて、レーザー・レーサーの次に『ラバー水着』というものが出てきます。これは発泡ラバーと生地を貼り合わせた材料を使った水着で、体に対して浮力を与えるものです。レーザー・レーサーは形状抵抗を減らすのですが、ラバーの水着は浮力なので、普段から姿勢が悪い人でもタイムが上がる事がありました。その頃から国際水泳連盟は水着メーカーと一緒にルールの改正を進め始めました。それが、2009年頃です。

瀬尾:ルール作りにミズノ以外のメーカーでは、どういうところが入っているんですか?

田中:世界中の水着メーカーが集まります。ルール改正後も国際水泳連盟とメーカーでルールについて議論を行い、少しずつ改訂されています。

瀬尾:レーザー・レーサーとラバー水着、星さんは両方とも着られているんですか?

星:はい、着ています。

瀬尾:ラバー水着はやはり浮力があるんですか?

星:ありましたね。まず、飛び込んだ瞬間に蹴伸びの姿勢をとるのですが、飛び込んだ時から体がふわっと浮くような感覚があります。また後半でバテてくると、上体が沈みやすかったり、下半身が落ちやすかったりするのですが、ラバー水着を着ているとずっと高い位置で泳げるのです。そうすると水の抵抗を減らせるので、タイムも落ちづらく、そのまま最後まで持つということはありました。

瀬尾:最終的にラバー水着は禁止になったんですよね?

田中:そうですね。今あるルールは生地、縫い目、覆う範囲などとても複雑で、細かく規定されています。

瀬尾:ラバー水着禁止前後の動きを教えていただけませんか?

田中:2008〜2009年頃、研究部門の島名に入ってもらって、高速水着についてとことん突き詰めて検証した時期があるんです。足の落ち方が少し違うとか、速度の低下率とか、タイムのラップの変化とか。ラバー水着の浮力についても調べていました。

その頃に得られた知見は今の水着の設計にも生かされています。当時はルールが大幅に変わったため、素材や設計を各社ゼロベースで作り始める事になりました。

ミズノとしても、今考えればそこはチャンスだったと思うのですが、当時は悲惨な状態でした。シェアもとことんまで下がっていましたし、私自身の知識もそこまでない状態で、何が正解かを見つけるのが難しかったです。そのときに開発メンバーで「まず短距離で世界一が取れるような水着を作ろう」と決めました。それから、素材メーカーと組んで、織物素材で作った『ミズノRX』という水着の開発に取り掛かりました。この水着は身体周囲方向の締め付け力を高くする事で体幹周りを安定させ、ミズノ水着のコンセプトである「フラット姿勢」に導いています。また、ミズノは水着素材の表面摩擦抵抗を削減するための研究を長年進めています。

織物素材の設計ノウハウが蓄積された頃から、より低抵抗な水着素材の開発をスタートさせました。単純にフラットな生地のほうが抵抗が小さいのではないかと思われますが、最新の生地では、微妙に凹凸を付けつつ表面だけに熱処理をかけてツルッとした生地の方が抵抗を小さくするという研究結果が出てきます。その生地は、リオデジャネイロオリンピックでも使用されました。

シミュレーション、設計、提案の繰り返し

瀬尾:ロンドンオリンピックとリオの間の開発過程は、どのようなものだったのですか?

田中:2012〜2013年がひとつの転換期で、締め付けや姿勢サポートの理論はだいぶ構築できてきたので、男性のシェアが上がってきていました。しかし女性のシェアは依然として低かったため、2012年に女性をターゲットに水着開発を行い、肩ストラップと脇のカッティングを見直しました。

星:どうしてもレースの水着だときついので、女子選手は肩のところが気になる人が多いです。だからといって緩くしたら、今度は胸の辺りから水が入ってきてしまいます。そこの調整がとても難しくて何度も検討してもらいました。体が絞れてサイズが変わることもあれば、筋力が付いてその逆になるケースもありました。腹筋などの下腹部あたりは締め付けがあると力が入りやすいので、締めたいところは締めたい。おそらく女子選手のほうが、上半身に凹凸があるので難しいですよね。それで、何度も調整をしてもらっていたのを覚えています。

田中:それで、島名がシミュレーションしてみると、上半身の皮膚伸びの大きなエリアに伸びにくいシーム(縫い目)があることがわかりました。それで、サポート力を残すところと生地を伸ばすところに分けたカッティングにして、さらに材料を見直していくという方向で進んでいきました。それに加えて2013年には筋骨格モデルを取り入れ始めました。

島名:そもそも、水の中で何かを計測することはすごく大変なんです。映像を撮るのも水中だと防水が必要で、センサを入れることもなかなかできない。実は水着を着けて、水中筋電を測ったことがあるんです。それなりに結果は出るのですが、やはり測れない部分はたくさんありました。水着と皮膚の間にセンサを入れることも難しいので、シミュレーションをやり始めたのがその頃です。

田中:特に皮膚伸びのデータを重視しました。水泳は腕を上げた時によく伸びているところが突っ張ると動きの阻害になるので、そこの設計をまず決めました。筋骨格モデルについては、下半身のキックサポートに着目しました。これまでは、水面に対して体をが水平にする事で効率の良い泳ぎに導く「フラットスイム」理論に基づいて水着を作っていたのですが、さらに調べると、推進力を生むキックをしている人は、ハムストリングがすごく発達していることに気づきました。

島名:そのような先行研究もあったので、筋骨格シミュレーション上でハムストリングスをサポートしてみたところ、効果的に負担を減らせることがわかったため、お尻からもも裏の設計につながりました。

田中:①キックをサポートするところは生地を2枚重ねにして張力を高くする、②接着テープで伸びを抑えて姿勢を制御する。この二つの方向で形にしていって、そこからは選手とのせめぎ合いでした。選手は自分の泳ぎ方が一番の理想だと思っていますが、開発側は姿勢を少し動かすと抵抗が減り、速く泳げるようになるだろうという予想がありましたので、実際に着てもらってタイムを取りながらそれを確信に近づける作業をしていました。

瀬尾:星さんは、ロンドンとリオで、着た感覚はいかがでしたか?

星:リオのときに着ていた水着はすごく柔らかくなったという印象でした。ずっと気になっていた肩の部分も、自分で簡単に上げられたんです。ロンドンまでは、人に上げてもらっていたのですが。

瀬尾:人がいないと着られないような水着だったんですね。

星:そうなんです。自分で上げようとすると、二の腕のあたりが真っ赤になっちゃって、傷ができるんじゃないかというぐらいでした。でも、この水着は最初から最後までひとりで着られるし、着やすいのに飛び込んだときにふっと下半身が上がる感じもあり、いいところはちゃんと残っているなと思いました。

瀬尾:浮力ではなく、張力でそこを何とかしたと。ルールを守りつつ、前と同じような効果を得ることができたのですね。今後はどんな感じになりそうですか?

田中:今まさに、東京オリンピックに向けて開発をしているところです。

瀬尾:星さんに続くような有望選手もいるんですよね?

星:もちろん。ミズノの水着を着てくれている契約選手の中にも、メダル候補の選手はたくさんいます。

着心地、浮力、低抵抗力…「いい水着」とは?

瀬尾:星さんから見た「いい水着」とはどういうものですか?

星:私は200mが得意だったので、どちらかというと後半の持ち味が上半身のパワーよりもキックだったんです。それがしっかり最後までキープできることが大事なのですが、水着に締め付けられてしまうと、最後にキックよりも締め付けが気になってしまって太ももがパンパンになる感覚があったんです。それを感じるぐらいだったら、いくら浮力が高くてもきつくない水着のほうがいいと思うタイプでした。でも締め付けが好きか、そうじゃないかというのは選手によって違います。私の場合、まさにリオのモデルの時は着やすさがバッチリで、ストレスなく着ていられるというのはありました。

瀬尾:選手と開発者のせめぎ合いですね。田中さんとしては、もうちょっと締め付けたほうがお尻も上がるのに…という感じはなかったですか?

田中:そこは選手の声を咀嚼することが大切だと思っています。選手の要望どおりに作っても、聞いた時とできた時では意見が違うことも当然ありました。だから、常に現場でしっかりヒアリングすることが大事ですね。「今のモデルと比べてどうか」「もう少しこうしてほしいところはあるか」など聞きますが、それが選手に共通しているものなのか、個人的なものなのかということもありますし、スピードにつながっていくものなのかも見極めなければいけません。例えば、上半身が硬くて体を押さえ付けるような水着の要望があってもそれは速さには寄与しないのであれば提案しません。また、着やすさ、動きやすさの意見が多いということがわかったら、それを高めるためにシームや生地などに何を選ぶのが一番いいか…というふうに考えています。

島名:腰や足周りはシミュレーション上、縦方向に対しては張力をかけていますが、いわゆる筋肉が締まる方向に対してはかなり緩くしているんです。通常であれば縦も横も締めたくなるのですが、お尻側だけテンションをかけて胴回りは緩くしています。そのバランスも、常に締め付けの力のデータを取って、膝やお尻から水が入ってこないバランスを毎回自分で決めつつ、ヒアリングもしていくという感じです。これも、シミュレーションがあるからできています。

瀬尾:今後の課題は?

田中:10年ほど開発を進めてきて、ようやく設計ノウハウが確立されてきたかなと感じますが、やることはまだたくさんあります。例えば、撥水性も肝なんです。生地が水を吸うと物理的に重たくなるので、その辺りはまだ課題です。

星:撥水効果によって繰り返し水着を着ることができますが、効果が下がるのであれば、その水着がいいとは言えないので、撥水剤の研究開発は重要だと思っています。

メダルは支えてくれた皆さんへの感謝の証

瀬尾:星さんにとってオリンピックのメダルにはどんな意味がありますか?

星:メダルとは何かというよりも、どうしてメダルを目指すところまで水泳を続けられたのかということになりますが、私がメダルを取りたいという目標を持った時に、それに対してバックアップしてくれる人たちは本当にたくさんいます。一番近くだと家族、コーチ、そして陸上のトレーニングや体のケアをしてくれるトレーナーさん、水着を作ってくれる人たちもそう。多分、みなさんが同じ目標を持ってくれていると思うんです。そして最高のパフォーマンスを発揮した結果としてメダルというものが持てると、それを皆さんに感謝の証として見せられます。私はロンドンのときに、メダルがあるのとないのとでは、言葉では言えないぐらいの違いがあるなと思いました。メダル無しで報告をしに行くのか、メダルを持って「皆さんのおかげでこれが取れました」と報告しに行くのかは全然違うので。それがロンドンのときにできたので、自分の目標はやはりもう一回オリンピックでメダルを目指すことだと思いました。

瀬尾:現役時代と今とで、世の中の見え方が変わったところはありますか?

星:今の話とちょっと重なるのですが、引退をしてから、実は水着を作っている工場にも足を運んだんです。それで、実際に水着を作っている方の姿を目の当たりにしました。選手というのは、自分が思っている以上に、本当にいろんな人の力で成り立っているんだ、と引退した時に改めて思い知りましたね。むしろこれは、現役時代から知っておくべきだとも感じました。

開発サイドの信念を水着に込めて

瀬尾:例えば、ロンドンとリオの時の水着でタイムはどのくらい変わるんですか?

田中:単純にこの二つだったら、星さんは絶対リオの方が速いと感じていると思います。自分の中で考える限り、間違いなく200mだったら絶対に速いでしょう。

瀬尾:でもそれは、その日の体調などにもよりますよね。

星:まさにそうなんです。

瀬尾:コンディションでも違うと思うし、何回も泳げば差が出てくるかもしれないけど、数回のトライアルくらいでは目に見えた形で差が見えないのではないかな、と。でも、間違いなく技術は進歩していきますよね。

田中:はい。実際に日本記録・世界記録を見ると、ルール改正以降も各種目で記録が更新されています。選手の技術的な向上もありますし、水着もそれに合わせて進化しているのでしょう。理論上、これは絶対効果があるはずだという信念をもってやっています。そこはぶれずに2020年に向けて開発を進めていきたいと思っています。

瀬尾:水着ルール制定の過渡期から現在までの、選手と開発者のそれぞれの想いを聞くことができました。本日はありがとうございました。

(2018年2月22日@ミズノ(株)東京本社)

 

 

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