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2018/4 Vol.121

【表紙の絵】
「あいするこころロボット!!」
齋藤 佑陽 くん(当時5 歳)
人間ができないことが何でもできる
ロボットがあったらいいな。

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機械遺産のDNA

世界初の量産電気自動車「たま」

 

たま電気自動車(E4S-47 I)(機械遺産No.40)

 

航空技術者が手がけた電気自動車

「たま」は、戦前の立川飛行機から派生した「東京電気自動車」が開発した電気自動車である。「東京電気自動車」は、中島飛行機から派生した「富士精密工業」と合併し、「プリンス自動車工業」となり、さらに1966年に「日産自動車」と合併した。「たま」が登場した1947(昭和22)年当時の日本は、終戦直後で物資や食糧だけでなく、深刻な石油不足に見舞われていた一方で、家電製品はまだほとんどなく、また工場も破壊され、大口電力需要者もいなかったため、電力供給は余剰気味であった。このような状況下で、政府も電気自動車の生産を奨励し、未経験の領域ながら「日本を戦災から一日も早く復興させたい」という情熱で、同社の技術者たちは持ち前の技術を新時代の移動や物流を担う「自動車」の開発に発揮したのであった。

早くも1947年には乗用車タイプのE4S-47 型とトラックタイプのEOT-47を発売。「たま」のブランド名は工場のあった多摩地区から命名された。

「たま電気自動車」は、グループ会社の「高速機関工業」の「オオタ」ブランド車のフレームを改造して中央下部にバッテリースペースを設け、動力源のモーターをミッドシップマウントにレイアウトされている。パッケージの強度と重心の計算から出発している点が、いかにも航空技術者らしいところである。モーターは(株)日立製作所との共同開発で、スピードガバナーで高速になるとフィールドコイルが直列から並列になってさらに速度が上げられる構造が採用されている。バッテリーも湯浅蓄電池(現在のGSユアサ)との共同開発で、グラスマットを極板の間に挟む、小型で大容量のものが搭載された。

車両のスタイリングにも、流線型で後ろヒンジ・前開きのエンジンフード、主翼に取り付けたエンジンフードのような形状のフェンダー埋め込みヘッドランプ、固定脚のタイヤカバーを連想させるフロントフェンダーなどに、やはり航空技術者ならではの特徴が表れている。

先端技術を搭載した「たま」は、1948年、商工省(現・経済産業省)主催の第1回電気自動車性能試験で、カタログ性能を上回る航続距離96km、最高速度35km/hという当時トップクラスの性能を記録して注目を集め、1949年には中型の「たまセニア」(EMS-49 I型)を追加し、1951(昭和26)年頃までタクシーなどで活躍した。

『たまセニア(EMS-49 I型)』

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