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2022/1 Vol.125

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特集 機械工学、機械技術のこれからのあり方

企業が期待する機械技術者のポテンシャル

井上 健司〔川崎重工業(株)〕

はじめに

「機械屋はつぶしがきく」は最高のほめ言葉

1986年に川崎重工業に入社して現在に至っている。当時は造船不況の真っ直中ではあったが、世の中はバブルの始まりと言われる頃であり、自動車、家電メーカーなどを中心に非製造業への就職も含めて機械系出身者の就職先はそれなりに多くあったと記憶している。川崎重工業は造船から起業し、航空宇宙、鉄道車両、モーターサイクルなどの乗物から、ガスタービン・ガスエンジンといったエネルギー機器、各種プラント、ロボット・油圧機器などを手掛ける老舗の輸送機器・機械装置メーカーである。現在でも機械系が理科系出身者の実に7割を占める機械技術者の集まりで、特に航空機、鉄道車両、モーターサイクル(以下MC)の三つの乗り物は、熱烈な社員ファンがおり、筆者もMC好きの一人である。

学生時代に就職を意識するようになってから、機械系出身者の受け入れ窓口が広いことについて、「機械屋はつぶしがきくからね」といったことがささやかれ、実際に社内では不足する電気系技術者を補うために、機械系技術者を社内で教育して電気系技術者として配置することも行われていた。当時は、「何でも屋、便利屋として使える」程度の少しネガティブなイメージであったが、35年の時を過ごした今、「機械屋は器用で適用力が高い!」と確信をもって言い替えたい。

それは、例えばMCのエンジン開発を例にとると、あるコンセプトのエンジンを開発・設計しようとするときに構造強度、材料、燃焼、排ガス、冷却、潤滑、制御などの各機械要素の課題がある。さらに、それらが互いにトレードオフの関係にあり、これらを取りまとめる機械技術者はそれぞれの技術に折り合いをつけながら最適値付近に落としどころを見出していく。最近はコンピュータによるシミュレーション技術や計測技術、データ解析技術が飛躍的に進んだとはいえ、それにもまして、燃費や排ガス規制、パワーやレスポンス、さらには「こだわり・味わい」などの感性に対する要求なども加わり、これらをバランスさせるある種職人ワザ的な機械屋のセンスはますます重要である。おそらく機械の完成イメージを達成させるために、ある時は左脳をフル回転させてち密に計算し、ある時は右脳を働かせて「鉛筆をなめて」大胆に決定して、思い描くイメージに近づける感覚が自然と身についてくるものと考えている。

「機械屋はつぶしがきく」とは、機械技術者が自己の専門分野のスキル・考え方を軸に、周りのさまざまな課題と折り合いながら目標とする機械システムをまとめ上げていく様子を自虐的に表しており、最高のほめ言葉ではないかと思う。同時に、このアクションは機械の設計・開発にとどまらず、企業の技術者が直面する将来のビジネスに対するアプローチそのものであり、刻々と変化する世界情勢の中で企業が変化・成長していくために、必要なセンスあるいはスキルと考えている。

ここでは、重工業という機械メーカーに35年あまり勤めた経験をふり返り、そこから見た日本のモノづくりの変化と、それに適用し発展させようとしてきた多くの機械技術者自身の対応力(ポテンシャル)について、やや独断的な意見を交えて紹介させていただき、今後の機械工学分野の新たな展開の一助になればと考える。

日本のものづくりが堅調だったバブル時代

欧米のキャッチアップがベースで市場はメーカーが乱立

入社は、熱望していたMCの設計開発ではなく、製品からは遠い基盤技術を支える研究所であった。最初は多少なりともショックを受けたが、上司はじめ部署の皆さんに暖かく迎い入れられてスタートを切った。また、学生時代お世話になった故赤川浩爾先生(神戸大学名誉教授)から就職活動中の学生へのアドバイスとして、「やりたいことがあるのは良いことだが、今は望んでいないことでもまずは与えられた仕事に一生懸命取り組めば新たな発見があり、そこから次の道が開けていく」というご自身の体験談からの教えも大きな支えとなった。

最初の仕事は、先輩技術者の指導を仰ぎながらの熱流体シミュレーションソフトの開発とその検証業務図1であった。当時CFDソフトを自社開発しているメーカーはそう多くはなく、当社は最先端の航空機の外部流れのCFDを、ボイラや原子力機器などに適用しようとしていた。

図1 シミュレーション検証用の流れ試験

 

子供のころからエンジン模型飛行機を作ったり、高校生からはバイクに乗っていたりしたのでエンジンなどのハードは好きだったが、シミュレーションのプログラミングはピンとこず、ましてや当時のCFDはまだまだ実用に耐えるものではなかったのであまり興味が湧かなかった。それでも先輩らの指導のおかげで、流体の物性に加え、温度、圧力、流速といった流動現象をつかみ設計に生かすことの重要性を教えてもらった。さらに、当時の研究所が持つ少しゆったりと将来研究を模索する空気は、現在の「前広に何でもやってみよう」とするポジティブなマインドの基礎を育ててくれたと考えている。

当時の重工業のビジネスは欧米からの技術導入、ライセンス生産も多くあり、独自の技術についても欧米技術のキャッチアップあるいはその改良技術が中心で、研究開発についてもすでに前例がある技術の適用研究や改良研究が主であった。それゆえ、このころは常に先を示す欧米の先進技術(お手本)があり研究テーマに事欠かなかった。

入社4、5年を経たころから、科学計算用コンピュータの目覚ましい発展が追い風となって、検証によるシミュレーションの精度向上とともに各製品への適用範囲も徐々に広がり、これを武器に各事業部門からの技術開発やトラブル対応の要請に答えていった。ボイラの燃焼炉内流動に始まり、原子力機器やごみ焼却炉、航空機用ジェットエンジンやMCエンジンに至るまで、さまざまな機器に携わることができ、シミュレーションというバーチャルなものから望んでいたリアルな機械へとつながっていった。

また、筆者を含む研究者が、事業部門に対して顧客としての感覚を持ち始め、ビジネスを意識し始めたのもこのころではなかったか?と考える。入社当初の研究所は独立性が高く、材料、構造、熱、流体、化学などの専門分野に分かれており、それぞれの基盤技術の維持・向上と課題に対する専門家としての回答などがその業務の主たるものであった。これに対して、ごみ焼却炉への対応をきっかけに事業部門へ営業活動を行い、現場調査に一緒に入って問題解決に取り組み、社外の最終顧客に承認を得て売り上げに貢献するというビジネスの実感を得たのであった。

技術屋以外の世界を知る

NEDOへの出向など事業創成を経験

90年代の初頭から世の中はバブル崩壊の影響をまともに受けたが、重工業のようなインフラ事業は少し遅れてその影響が出はじめて長い低迷期を迎えていたように思う。筆者は引き続きごみ焼却炉やガスタービンの開発に携わった。

そんな中、2001年、NEDOの企画調整部(当時の名称)へ出向することになった。当時の小泉政権のもと省庁再編の真っ直中にあり、経済産業省の関連機関であったNEDOがその機能を拡充するために企業から多くの人材を求めたもので、これに対応するようにとの指示であった。

当時のNEDOは、正職員が約2割、経済産業省はじめ省庁からの出向者が4割、筆者のような企業からの出向者が4割といった混成部隊だったが、省庁の文化が色濃かった。仕事の内容はもちろんであるが、環境、ルール、考え方などすべてが入社後の研究所中心の業務とは全く異なり、最初の1年間は新入社員のように、業務のイロハを学び新しいことにチャレンジする毎日であった。

企画調整部の業務は、大型プロジェクトのマネジメントと事業を円滑に進めるためのルール作りであった。法律に基づく国の事業の遂行について、基本的な仕組みを勉強させてもらい、それをもとに大型プロジェクトのマネジメントを担当したほか、さらに国プロを進めるうえで新たな仕組みを作るなどの経験を積むことができた。また、ここでは、NEDO正職員や経産省出向者、さまざまな企業の出向者が協力して国プロを進めることに大いに刺激を受けたと同時に、外の組織から当社を見ることによって、その良いところ悪いところがよく見えて、環境が変わることへの対応力を習得すると同時に、新しい環境での気づきを再発見した。

NEDOから研究所に復帰後、新サイクルの内燃機関の開発に取り組んでいたが、開発が一段落した2009年、本社企画本部に新事業推進部が発足したのを機に異動を命ぜられた。ここでは、全社の新しい事業を発掘・推進するため、世の中のニーズと開発部門の持つシーズをマッチングさせて技術開発などを支援していた。当時主だったものに風力発電、潮流発電、ニッケル水素電池などがあり、CO2削減に向けたエネルギー・電力関連に注力して、新たな事業に活路を見出そうとしていた。

そのような雰囲気の中で、水素に関する議論も始まった。

新しい価値を求めてブルーオーシャンに漕ぎ出す

2010から脱炭素を掲げて水素エネルギーに取り組む

2010年、本社関連部門、研究開発部門が中心となって、20年、30年先の川崎重工を支える将来事業の開発を提案するタスクフォースが立ち上がり、いくつかのテーマが候補に挙がった。その中で最後まで残ったのが「水素エネルギー」である。川崎重工は他社に比べてエネルギー部門が弱いという分析のもと、将来はエネルギーを主軸とした事業展開を目指したいとの思いがあり、当時温暖化の原因として話題になり始めていた、CO2の削減を根本から解決する究極のクリーンエネルギーとして「水素」を選択した。

水素エネルギー利用については、過去にもさまざまな書物で紹介され、国プロのWE-NETプロジェクトで検討した経緯もあるが実現に至っていない。このような前例を踏まえ、水素に対して実現性を危惧する声も聞かれたが、当社はロケット用燃料として1988年に種子島宇宙センターに液化水素貯蔵タンクをはじめとする液化水素供給設備を納入して以来、安全にその運用を行ってきた実績があり、新たな視点で水素に取り組もうと、ブルーオーシャン(未知の市場)に漕ぎ出した図2

最初のプロジェクト推進メンバーはすべて機械系の技術者数名で立ち上げられ、筆者も新事業推進部のメンバーとしてその成り立ちを支援し、その後、プロジェクトメンバーに加わった。今考えるに当時の検討チームのコンセプトとして素晴らしかったと思えるのは、以下の点であり、特にトップからは専門分野によらず常にまずは自分たち自身でゼロから考えて「白地に絵を描く」ことを求められたことである。

①事業・マーケティングにおいては全く素人の機械系技術者が集まって、技術開発のみならず水素エネルギーを事業化するためのシナリオ、準備、仲間づくりなどゼロベースで検討した。

②水素をどの国で製造して輸出し、どのような形で海上輸送し、どの国に輸入してどのような用途に使うのか?利用者は誰なのかなど、まさに水素の井戸元から利用までの「つくる」、「ためる・はこぶ」、「つかう」を具体的なチェーンで提案することを主軸に置いた。

③水素エネルギービジネスの手本は無かったが、まずはLNGサプライチェーンをトレースすべく、その導入・普及などの歴史、主要関係先などを調査し、それを参考にしながら足りないスキルを補うためにさまざまな専門家と意見を交わした。

プロジェクトがスタートした2010年当初は、まず、エネルギーに関係する監督官庁はじめ、有識者、会社・団体などさまざまな関係各所にコンセプトを説明し、仲間づくりをスタートしたが、最初は「水素ねぇ?」といった印象であった。

風向きが大きく変わったのは、東北大震災が起こり原子力発電所をすべて停止させた以降である。電力における1次エネルギーの使用は、天然ガス、石炭、原子力、石油、水力、その他(太陽光、風力、地熱など再生可能エネルギー)などをバランスよく使うベストミックスである。特にCO2の削減については、原子力に頼る部分が大きかっただけに原子力発電所の全停止は重要な選択肢に赤信号がともった瞬間であって、何かもう一つ新たなエネルギーの選択肢が必要になった。

現在、液化水素サプライチェーンプロジェクトは、日豪両政府の支援を受けて世界初のパイロット事業を実証中図3であり、さらに次の大型商用実証に向けて基本設計をスタートさせたところである(1)

 

図2 筆者が手掛けた液化水素サプライチェーンのイメージ

図3 実証中の神戸液化水素揚荷基地(HySTRA提供)

ブランド力を高めて非価格競争力を持つ

技術のシナジーで新たな価値を生む

2013年にいったん水素プロジェクトを離れて研究所に戻った。熱・エネルギーの関連研究部では、水素ガスタービンなどの水素関連の技術開発をはじめ、ガスエンジンやボイラなどエネルギー関連機器やMC用のエンジン開発を支援していた。

MCは、当社で唯一のB to C商品で、国内MCメーカーの一つとして世界のマーケットで戦っており、多くのMCメーカーの中で「Kawasaki」を世界的プレミアムブランドに定着させるべく奮闘中であった。米国ハーレーダビットソン、独BMW、伊ドカティなどの欧米のメーカーは、ブランドイメージが確立しており、このブランド戦略により趣味性・意匠性の高いMCにおいて、非価格競争力を持つ利益率の高い製品となっていたためである。

当時の研究所を含む技術開発本部は、基盤技術の中核部門として各事業部門の新製品開発を支援するとともに、インター事業活動として、ある部門での開発技術を他の製品に融合させ新たな価値を生み出す、いわゆるシナジー効果によって、新製品開発を促すことを推進していた。その中で、MCの燃費とパワーの両立を目指して、ガスタービン技術とレシプロエンジン技術を組み合わせた機械式スーパーチャージドエンジン(以下SCエンジン、図4を開発することが決定した。

SCエンジンは4輪車用では実現されているが、MC用については搭載性の課題などがあり量産の前例がなく、世界でも希少な遠心コンプレッサと、クランクの動力を取り出し回転数を10倍程度に増速する増速機を組み合わせて開発することにより、コンパクトなSCの実現を目指した。

まず研究所のガスタービン関連技術者とMCの研究部門が協力しての機械駆動式の小型遠心コンプレッサの開発に成功した。その後、MCのエンジン設計者がSCとエンジンのマッチングをとる形で双方を最適設計することで、目指すモデルのコンセプトに合致した量産MC初のコンパクトなSCエンジンが完成した(2)

2014年11月にイタリアで開催された欧州で最大規模のMC展であるミラノショーで、量産MC世界初のSCエンジンを搭載したモデルNinja H2の展示を行い、このモデルの成功を予見するような絶賛と大歓迎を受けた図5。反応を確かめるべく同行した筆者は、独自動車メーカーアウディの技術者から声をかけられた。「このスーパーチャージャはエクセレントだ!どこが造ったのか?」 筆者は、「我々カワサキだ。なぜならカワサキはガスタービンメーカーだから」と誇らしく答えた。後ほどこのSCエンジンは日本の自動車技術330選に選ばれ、当社モデルだけでなく伊ビモータ社にも供給されてニューモデルに搭載されている。

このような他とは一線を画するモデルの発売などがきっかけとなり、MC部門はKawasakiブランドをより強固なプレミアムブランドとして多くのファンを獲得し、現在ビジネスは好調である。かく言う筆者もカワサキユーザの一人として、自分たちが欲しいMCを自分たちで創りそれを楽しむ醍醐味を味わいながら、これからの未来に向けたパーソナルビークルの進化にも思いを巡らせている。

図4 SCエンジン

図5 SCエンジン搭載のNinja H2のデビュー(2014ミラノショー)

さらにその先のビジネスに向けて

機械技術者たちの挑戦は続く

当社のグループビジョン2030事業方針説明会で用いられた水素の事業展開に関するイメージを図6に示しているが、いわゆる「スマイルカーブ」と呼ばれるものである。事業の企画段階からサービスまでを考えたとき、近年、当社のような製造業は一般的に付加価値の低い事業と言われている。

そこで水素事業に対しては、その関連製品・システムの製造のみならず、上流のライセンスビジネスや下流の製品を使ったオペレーション・サービスに至る領域までを意識した事業展開を目指している。

図6 ものづくりからの事業展開

現在、筆者自身も事業部門で水素事業に関わっており、このような課題にも日々多くの機械技術者が、将来の脱炭素に向けた水素エネルギーの普及に向けて議論を重ねている。そして、そのムーブメントは、多くの関係者を巻き込み賛同を得て、個社の枠を超えた潮流になりつつあると感じている。

これからの機械技術者に期待するのは、機械屋としての知識・経験と方法論で、まずは競争力のある強い製品を創って欲しいということである。そしてさらに、そのポテンシャルを開花させて適用範囲を広げ、付加価値の高いビジネスへと目指すゴールイメージに向かって前進して欲しいということである。「機械屋はつぶしがきく」ので世の中の変化にも、きっとうまく対応できると期待している。


参考文献

(1) 川崎重工技報, 水素サプライチェーン特集号, No.182(2020年9月).

(2) 川崎重工技報, モーターサイクル&エンジン特集号, No.180(2019年2月).


<正員>

井上 健司

◎川崎重工業(株) エネルギーソリューション&マリンカンパニー産業 プラント総括部 特別主席(水素技術担当)

◎専門:機械工学、エネルギー工学、CFD

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