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2021/4 Vol.124

工部大学校の「機械学」教育機器(機械遺産第100号)

ラチェット

年代未詳/真鍮、鉄、木製台座/H315, W245, D150 (mm)/東京大学総合研究博物館所蔵

工科大学もしくは工学部の備品番号「工キ學ニ二一四」の木札付。本模型の年代は未詳であるが、東京大学総合研究博物館には工部大学校を示すプレート付きのものを含め、近代的な機械学教育のために明治期以降に導入された機構模型が現存する。
上野則宏撮影/東京大学総合研究博物館写真提供/インターメディアテク展示・収蔵
[東京大学総合研究博物館]

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特集 3.11から10年、「安全」を取り巻く環境、意識はどう変わったか

「文理協働」と人文・社会科学の「批判性」

菅原 慎悦(関西大学)

2011年3月、筆者は原子力を学ぶ大学院生であった。大学入学時はいわゆる「文系」であったが、学部生の途中から工学部に転じ、大学院では「学際」を掲げるグローバルCOEプログラムが動いていた原子力の世界へと足を踏み入れた。その博士課程も後半に差し掛かろうとする頃、東日本大震災が発生し、福島原発事故を目の当たりにした。以降10年間、人文・社会科学の知見や視点を原子力安全にどのように活用しうるだろうか、という問題関心に突き動かされながら、工学や技術の現場に近い組織に身を置き、研究や実務に携わってきた。本稿では、筆者個人の経験そして悔悟とともに、人文・社会科学がどのように「安全」に貢献しうるだろうか、という点について論じてみたい。

「安全」の中身に切り込まない社会科学

筆者が原子力の大学院に進学した当時は、「原子力ルネサンス」の掛け声の下、今から思えばバラ色の未来が盛んに語られていた。そのような明るい未来像を妨げるものとして、「社会の理解不足」がしばしば問題とされ、これを「解決」する役割が「文系」の学問に期待されていた。実際、工学系の研究者や現場の実務者からは、「原子力発電のもたらすリスクはこんなに小さいのに、なかなか社会に理解してもらえない」という声をよく耳にした。その背景には、「原子力技術システムのリスクを我々は技術的に十分に把握していて、あとは社会の問題だ」という見方が透けて見える。

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