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2020/12 Vol.123

表紙の説明:これは、推力5tonターボファンエンジンFJR710形で、右からファン、圧縮機、燃焼器のケーシング部分である。1975年に通商産業省工業技術院の大型工業技術研究開発制度によって開発された。ブラッシュアップしたエンジンは、短距離離着陸ジェット機(STOL)飛鳥に4基搭載され500mで離着陸できた。
[日本工業大学工業技術博物館]

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特集 第100号を迎えた「機械遺産」

先人の残したもの…遺産から未来へ

長島 昭(慶應義塾大学)

第1号認定まで

機械遺産がついに100号に達したことは喜ばしい。現在のご関係者に敬意を表するとともに、個人的感慨をお許しいただいてこれまでの経緯に触れてみたい。

21世紀に入って間もなく、学会の筆頭副会長のころに旧知の堤一郎氏からご相談があった。機械学会として機械遺産を認定できないものだろうかとことであった。もともと博物館好きの私は大いに興味を惹かれて、当時の会長にもご相談し、関係者と共に推進した結果、学会理事会でも基本的な案の承認を得ることができた。その後私は学会長や110周年記念事業委員会の委員長などを仰せつかり、機械遺産もその記念事業の一つに活用させていただいた。新発足の機会遺産委員会の委員各位の熱心な活動によって、遺産候補の選定作業など実質的な準備が進められた。

この制度の特色としては、機械遺産委員会と機械遺産監修委員会の二つが設けられたことも挙げられる。機械遺産委員会が選定を担当し、監修委員会が広く社会的視点から監修して、最後に理事会で承認する仕組みである。海外の科学技術系博物館を訪れた経験から世界の優れた保存活動を見ると、一方にマニアックとも言える専門家の執念があり、他方に歴史的社会的視野の学識経験者の判断があって、その両者の連携が支えている。機械遺産監修委員会の初代委員長には三輪修三先生が就任された。

ついに100号へ、そして懸案

これらの準備作業を経て、2007年に第1回の認定結果が発表され、その認定証交付式が行われた。式に出席して私が特に興味深く感じたのは、それぞれの遺産のご関係者が語られた過去の苦心談であった。それらのお話しから浮かび上がるのは、明治時代の勃興期の技術、戦時下の技術、そして戦後日本の発展期の技術、それぞれの時代の特色であった。

学会の遺産事業の企画段階から準備時代を経て監修委員会の委員長時代まで私は10年以上にわたって一貫して関わらせていただいたが、懸案として残された課題もある。100号に達してあらためて課題を思う。

明治以後の日本の科学技術の成果には、軍事技術に関係するものも多かった。しかし機械遺産として認定するには現在もまだ社会的配慮の必要なものが多い。その点ではこれからも例えば環境、原子力、医用工学、技術倫理などは難しい社会的視点が関わるものがある。また私がアジアや南米などで目にしたものの中に、日本の遺産に挙げられそうなものもあったが、まだ取り上げられてはいない。分野バランスでは、機械技術の重要分野である材料分野はまだ機械遺産としてうまく採り上げられていない。

今後の機械遺産事業を考えるときには、機械遺産にふさわしい候補の掘り起こし方も重要である。これには学会員全体の協力が欠かせない。

認定された機械遺産の学会としての活用も残された課題であろう。

“もの”以外の技術遺産も

さらに関連して私の期待する広がりもある。現在の機械遺産はなんらかの“もの”(構造物や資料文書など)である。しかし技術はイコール“もの”だけではない。例えば過去には機械工学・機械技術はハードインフラの建設・整備に貢献した。それらは完成に至る前に、構想、企画、設計、受け入れ環境、安全、ライフサイクル、といった多方面に技術者自身の優れた先見性、構想、設計、試行錯誤、倫理思考などがあった。

やはり機械分野における技術そのものの歴史を、学会全体のバランスの取れた形で研究し記録に残し続ける努力が必要と思う。他学会では例えば電気学会などでも地道に行われているようだ。

遺産事業にはさまざまな価値がある。社会的受容の向上や教育への貢献のほか、私たちは先人の残した“もの”を見て、先人が達成しようとした“こと”へ思いを巡らせることができる。

最後に、これまでの機械遺産委員会と機械遺産監修委員会の歴代委員の皆様、支えて下さった技術と社会部門、さらに遺産保存に尽力されたご関係者各位に感謝を申し上げたい。


<名誉員>
長島 昭
◎慶應義塾大学名誉教授、中部大学客員教授
◎専門:熱工学、知的基盤

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