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2020/12 Vol.123

表紙の説明:これは、推力5tonターボファンエンジンFJR710形で、右からファン、圧縮機、燃焼器のケーシング部分である。1975年に通商産業省工業技術院の大型工業技術研究開発制度によって開発された。ブラッシュアップしたエンジンは、短距離離着陸ジェット機(STOL)飛鳥に4基搭載され500mで離着陸できた。
[日本工業大学工業技術博物館]

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特集 第100号を迎えた「機械遺産」

手品のアイデアで設計された筑後川昇開橋

池森 寛(西日本工業大学)

機械遺産の解説文には、歴史的社会的意義と技術的意義が盛り込まれることになっているが、後者の内容は残念ながら薄い傾向にある。実際、短文では盛り込めない技術的面白さが多くの機械遺産には隠れている。その例として、機械遺産第23号・筑後川昇開橋(機械遺産第23号、2007年認定)の隠れた技術を取り上げてみた。

筑後川昇開橋の略史

九州一の大河・筑後川の河口の大川市と諸富町を跨ぐ朱色の長い橋が、筑後川昇開橋である。現存する昇開式可動橋としては最も古く、規模も最大である。青空と川面に映える姿の美しさと、中に潜む考え抜かれた動く仕組みのスマートさは、機械遺産の中でも白眉な存在である。

本橋は旧国鉄佐賀線〔佐賀~瀬高(福岡県)間〕の鉄橋である。当時筑後川河口はマスト漁船や数百トン級の蒸気船が行き交う水上要路であった。このため列車と船を交互に通す可動橋を必要とした。1935年に昇開橋竣工と同時に全線が開通。図1は当時の写真である。

図1 1938年頃の筑後川昇開橋と汽船

その後大動脈として大きな役割を果すが、1964年以降、車社会への移行により徐々に列車需要が落ち込み、1987年廃止される。撤去勧告がなされるが、市民の強い保存要望で、1996年に遊歩道として開通し、重要文化財にも指定され、現在地元の重要な観光資源として活用されている。

図2は現在の写真である。

図2 筑後川昇開橋と坂本種芳

技術師で奇術師の坂本種芳

この橋の開発・設計には、鉄道省の優秀な技術者達が携わった。可動部設計(1)は坂本種芳(たねよし)(1898~1988)が担当。坂本は岩手県遠野市に生まれ、米沢高等工業学校(現・山形大学)を卒業後、石川島造船所(現・IHI)を経て鉄道省工作局技師として駅・港湾・工場などの荷役機械の設計製作に従事した。

その傍ら、東京アマチュア・マジシャンズ・クラブ会長としても活躍、1938年には「香炉と紐(ひも)」で世界的に有名な米国スフィンクス賞を受賞。奇術の著作も多い。彼の設計した多くの可動橋には、奇術師としてのアイデアが活かされており、筑後川昇開橋はその集大成と考えられている。本人によれば、「新しいトリックで人を驚かすことが好きで、そんな心理が昇開橋設計にはたらいた」と振り返っている。彼にとって技術と奇術は表裏一体であった。図2右(2)は奇術師坂本の姿である。なお坂本はこの橋以前にも、青函連絡船桟橋可動橋(機械遺産第44号)など多くの可動橋を設計している。

昇開橋の動く仕組み

軟弱な地盤、橋脚・基礎、風圧、電動機の維持費、製作コストなどが考慮され、昇開式が採用された。
橋全長は507.2m、昇降桁長さ24m、昇降距離23m、重量48t、最大昇降速度20m/分、昇降時間1.2分、電動機10馬力2台である。列車通過時に下降する形式で、高さも早さも当時最高最速であった。可動装置には、A:平衡ロープとB:マイクロドライブ装置が考案された。これらにより、橋桁を平衡に保ち、着地直前に減速して衝撃緩和を実現している。国内と米国の特許を取得、1937年のパリ万博には、模型が出品され、世界的にも高く評価された。図3は動く仕組み(3)を示したものである。

A:平衡ロープ

高さ30mの鉄塔の間の昇降桁を、片側だけの巻上げ機で巻き上げる方式。48tの桁の重さを釣り合わせるために平衡重り20tが桁の両端につるされ、さらに片側だけに8tの平衡重りが余分につるされている。二つの20tの重りで桁の重さ48tを、実質8tとし(列車走行時の桁の安定のため)、上昇時はこの8tを、8tの平衡重りで打ち消しながら巻上げる。こうすることで、高速上昇と電動機の負荷を軽減できる。さらに、図4に示す平衡ロープと呼ばれるワイヤロープが取り付けられ、その一端は鉄塔の根元に固定、他端は可動桁の両端のプーリーを介して、反対側の鉄塔の上部に固定されている。このロープの作用で、桁の片側を上げるだけで、昇降桁は絶えず水平に保たれ昇降するのである。これらは、まさにロープのマジックといえる。

図3 昇開橋の動く仕組み

図4 昇降桁側面の平衡ロープの一部

B:マイクロドライブ装置

この橋では高速昇降が要求される一方、静止直前に減速して衝撃を和らげる必要がある。このため坂本は、高速用と低速用の2個の電動機と歯車装置を用いたマイクロドライブ方式を考案し、これにより最大巻上速度20m/分、最低速度4m/分を実現し、接地時の衝撃力を1/25に減少させている。

なお、現在老朽化と安全性からこの部分は電動機制御に置き換えられている。図5は外され保存されている1987年まで稼働したオリジナルな巻上ドラムとマイクロドライブ装置である。今後、(公財)筑後川昇開橋観光財団では組立展示の計画があり(財団や文化庁には担当者が見つからず)、機械遺産委員会の筆者らが再調査(4)に協力した。図6は利用した当該部の図面である。

最後に

インスタ映えする歴史的景観を楽しみ、技術者達に想いを馳せ、機械技術の巧みさに感動できる昇開橋。解説文だけでは、思い浮かばない隠れた技術を紹介した。これらの技術に、なるほどとうなずいて頂ければ幸いである。
余談ながら、図7は2011年に発売されたトランプである。その箱には、機械遺産の名も添えられ、「可動装置の原理を考案した鉄道省技手。世界的な賞スフィンクス賞を受賞するなどアマチュア手品師としても高名です。坂本種芳の功績がきらめく筑後川昇開橋がデザインされたトランプでカードマジックはいかが」とある。

図5 再調査時の保存ドラム・マイクロドライブ装置

図6 巻上ドラム・マイクロドライブ装置図面

図7 昇開橋デザインのトランプ


参考文献
(1) 坂本種芳, 佐賀線筑後川橋梁可動装置の設計について,土木学会誌, Vol.21, No.1(1935), pp.93-193.
(2)坂本圭史, 筑後川昇開橋と父の想い出(1996), 私家版.
(3)千葉雄輝, 河田和, 池森寛, 機械遺産・筑後川昇開橋の歴史と機械的構造について, 日本機械学会九州支部講演論文集(2009).
(4)池森寛, 緒方正則, 残存する筑後川昇開橋の旧機械装置の文化財的価値について, (公財)筑後川昇開橋観光財団(2019), pp.1-12.


<フェロー>
池森 寛
◎機械遺産委員会アドバイザー、西日本工業大学 名誉教授
◎専門:機械技術史、産業考古学、産業遺産の保存継承

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