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2020/12 Vol.123

表紙の説明:これは、推力5tonターボファンエンジンFJR710形で、右からファン、圧縮機、燃焼器のケーシング部分である。1975年に通商産業省工業技術院の大型工業技術研究開発制度によって開発された。ブラッシュアップしたエンジンは、短距離離着陸ジェット機(STOL)飛鳥に4基搭載され500mで離着陸できた。
[日本工業大学工業技術博物館]

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特集 第100号を迎えた「機械遺産」

機械遺産と社会貢献(認定後のフォローアップ活動より)

市原 猛志(九州大学)

認定機械遺産のアフターフォロー

機械遺産委員会に参画できる機会に恵まれ、個別の機械遺産候補に関するレポートを出し、またその価値をプレゼンするという年間のルーティンを繰り返していくうちに、この遺産認定制度が実に労力のかかった、また個別の認定物件に対する愛情の深い制度であると思うことが多々ある。委員会での審議に加えて監修委員会を設け審議を行うなど、認定に関する厳しい審査が行われていることはもちろんであるが、私がいちばん驚いたのが、認定後個別の遺産に関しての照会が頻繁になされていることである。

筆者はもともと建築・都市計画系の専攻から産業遺産の研究に進んだ経歴を持ち、研究対象である建築の有形文化財登録や日本遺産の認定などにも経験があるため、対象物の価値を調べることや登録・認定時の保存状況についてレポートを書くことも多いが、これらの場合いったん認定してしまうとそのまま、結果的に放置してしまうことが多かった。国の文化財の場合であれば、改変時に届け出を行う義務が生じるが、学術団体の認定制度の場合、それらの価値を将来に継承するための法的な裏付けがないことに起因する。産業遺産学会(旧称・産業考古学会)が1985(昭和60)年より行っている学会推薦産業遺産制度では、認定した産業遺産の追跡調査を2010年に行ったが、認定された82件の推薦遺産のうち、3件が解体の憂き目にあっている(1)。

機械遺産では委員会の会合やメーリングリストの場において、折に触れ、認定後の機械の移設有無や管理状態について報告がなされる。これは機械遺産の紹介パネルで管理者と連絡先を記載していることにも起因しているが、管理者に認定団体が常時連絡を取れる状況は、認定側のアフターフォローとしての責任を示すようで好ましい。世界文化遺産『明治日本の産業革命遺産』の構成資産である小菅修船場では曳揚げ装置が機械遺産の栄えある第1号の認定(2007年度)物件であるが、現地では世界遺産登録前から機械遺産認定を示す看板が取り付けられている。

図1 小菅修船場の看板

企業ミュージアムで輝く「機械遺産」

企業ミュージアムを新たに整備する際にも機械遺産認定はミュージアム内で積極的に紹介されており、筆者の地元北九州市ではTOTOミュージアムと安川電機歴史館でそれぞれ機械遺産に認定(ウォシュレットG型・2012年度/モートマン-L10・2015年度)された機械とともに機械遺産の認定証が燦然と輝いている。日産自動車が横浜市の展示スペース「日産グローバル本社ギャラリー」では、今年に入ってたま電気自動車(2010年度認定)の説明に機械遺産に関する文言も織り込まれた。機械遺産への、ひいては日本機械学会の活動の認知普及は少しずつではあるが進みつつあるといえよう。

認定する立場の学会がその認定制度の効果を確認し、保存状態の実態を把握することは、制度そのものにかかわっている人員の少なさから考えると容易なことではない。自然と委員や元委員、アドバイザーの皆様や歴史的機械の保存に関係する方々の力を借りながら、進めていくことになる。このような各自のボランティア精神によって、認定された遺産の価値を担保し続けているというこの普段の活動が、新たな機械遺産の認定により輝きを持たせるのではないか、と今では思っている。

図2 安川電機歴史館のモートマン-L10


参考文献

(1) 産業考古学会, 日本の近代を開いた産業遺産(2011), pp.198-200.


<フェロー>

市原 猛志

◎九州大学 大学文書館 協力研究員

◎専門:産業技術史、材料史学、アーカイブ学

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