名誉員から一言
企業の開発と大学の研究を経験して -研究者をストックからフローへ-
はじめに
私はいわゆる団塊の世代であるが、企業で約28年間、さらに大学で約14年間と、企業と大学の両方で研究開発に携わってきた。ここでは、この間を振り返って、「学んだこと」、「考えたこと」をまとめてみた。企業や大学をとりまく状況は異なるが、多少とも、若い技術者・研究者の皆さんの参考になれば幸いである。
「企業における開発」と「大学における研究」
修士課程を修了して企業の研究所に入社した。当時の研究所としては珍しいが、研究だけでなく、その成果を実用化して、世の中に具体的に貢献することをミッションとしていた。私も、最初の10年間は基礎的な研究に従事したが、その後は主として、システム開発やプロジェクト推進に携わってきた。具体的には、光記憶システムの開発や、COP3・京都会議で地球環境問題に注目が集まった時代だったので、エネルギー削減を目指した通信用エネルギー技術の開発をはじめ、環境情報ネットワークの共同プロジェクトなどに従事してきた。
そして、企業の研究所で30年近くを過ごした後、大学に異動した。将来は大学で仕事をしたいと漠然と思っていたこともあるが、次世代を担う若者の教育に携わることや、もう一度、基礎的な研究に挑戦することを魅力的に感じたからでもある。
キーワード:名誉員から一言
【表紙の絵】
みんな健康マシン
袴田 怜知 くん(当時8歳)
この機械の名前は「エンストターミル」。どんな病気やケガでも必ず治します。スーパーコンピューター50台分の性能があり、原因不明の病気でも情報を入力すると、正確に原因と治療法を診断してくれます。レーザー、薬剤、その他様々な物質を放出して、病気やケガを完治させます。
みんなが絶対に健康になれるマシンです。