一般社団法人 The Japan Society of Mechanical Engineers

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No.163 社会と交わる日本機械学会:計算力学のリテラシーを例として

2017年度(第95期)庶務理事
吉村 忍[東京大学副学長,大学院工学系研究科教授]


1.社会のための計算力学

私の主たる専門は計算力学(Computational Mechanics)である.計算力学(しばしばCAEとも呼ばれる)は,コンピュータの発展とともに,様々な科学技術分野へ適用範囲を拡大している.ものづくり現場への普及・発展を反映し,計算力学解析支援技術の開発や計算力学技術者の技能認定や質保証1)が進む一方で,計算力学解析におけるV&V(Verification[精度検証] & Validation[妥当性検証])の重要性がクローズアップされてきている2).また,マルチスケール・マルチフィジクス計算力学が急速に発展し,ペタ/ポストペタ/エクサフロップスコンピュータ開発を牽引する分野に成長するとともに,今後のものづくりを変革する原動力と期待されている.

このように,自律的・自発的に研究開発と多方面へ展開が進む計算力学であるが,2011年3月11日に発生した東日本大震災とそれに引き続いて起こった福島第一原子力発電所の事故を経験して,改めて,「社会のための計算力学」という視座を再確認したい.

シミュレーションの中核技術の一つである計算力学の最も重要な特徴は「予測能力と定量性」である.現象をきちんとモデル化し,適切な物性値や境界条件・初期条件を設定し,精度よく解くことができれば「定量的に未来予測や性能予測」を行うことができる.必要となる情報に一部欠落があっても,ある値を仮定しその値を少しずつ変更しながら複数回の解析(パラメトリック解析と呼ばれる)を行うことにより,ある種の幅を持って予測することもできる.ものづくり分野と比較して,人工物と同時に自然や社会を相手とする防災・減災,社会・環境分野は,現象のモデル化とともにデータ収集にも困難を伴う.しかし,そうした困難をひとつひとつ克服し,実現象の発生に先だって,様々な定量予測を行うことができる計算力学を,これまで以上に積極的に活用すべきである.

2.計算力学の専門家にとっての計算力学リテラシー

計算力学の活用を先導するものづくり分野においては,①解析者と②解析結果の評価者,③解析結果の受益者が,ほぼ同一であり,いずれも計算力学の専門家である.三者には,計算力学をものづくりに活用する際のある種の知的共通基盤,共通了解事項がある.たとえば,

 第一に,正しいあるいは信頼できる解を出すことが必須である.

 第二に,前提が異なる,モデルが異なる,入力データが異なるとなれば,同一の対象を解析していようと異なる結果が出るのは当たり前である.また,計算と実験の間にある程度の乖離があるのは当たり前である.

 第三に,以上のことを十分に了解した上で,計算力学をどのようにものづくりに活用するか,そのノウハウが,企業の真のものづくり力とも言える.

以上のことを少し専門的な用語で言い換えると次のようになる.計算力学を現実のものづくりに活用する上で,V&Vを行うことは当然である.近似解法である計算力学に誤差はつきものであり,誤差の由来をしっかりと理解し,適切にコントロールしながら,計算力学を活用して,適切なものづくりを行うことが,計算力学の専門家としての基本的素養であり,それを「計算力学の専門家にとっての計算力学リテラシー」と呼ぶことができよう.これを第一種の計算力学リテラシーと称したい.

3.計算力学の専門家にとっての計算力学リテラシーの教育

第一種の計算力学リテラシーを,計算力学を学ぶ学生や計算力学を業務として活用する技術者にどのように教育するかというのは,大学にとっても学協会にとっても重要な課題である.

大学における計算力学教育では,計算力学の理論やプログラミング,計算力学ソフトウエアの使い方を学ぶ.その中で併せて,空間方向の離散化(メッシュや格子の分割)や時間方向の離散化(時間増分の刻み幅)に伴う誤差,非線形項の線形化に伴う誤差等について学ぶ.

日本機械学会では,2003年より計算力学(CAE)技術者の資格認定事業を実施しており,2016年度末までに,約7,600名の認定技術者が資格を取得している.また,この認定事業には40を超える国内の学協会が協賛しており,国内のデファクトスタンダードとなっている1).国際的にはNAFEMSという英国発祥の団体が計算力学技術者認定を行っている3).日本機械学会の最上位資格上級アナリストとNAFEMSのPSE(Professional Simulation Engineer)資格が同等であると認められ,2014年度より国際相互認証事業1)を進めている.

4.東日本大震災と原発事故が計算力学に突き付けた課題

このように,ものづくり分野を中心に,第1種の計算力学リテラシー教育は順調に進んでいるように見えたが,2011年3月11日に発生した東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故では,計算力学にも大きな課題を突き付けた.このとき,地震や津波等の自然現象や,自然現象と人工物・人工システムの相互作用がクローズアップされた.しかし,そこで,計算力学シミュレーションは社会から期待される役目を果たせたであろうか?

第一に,繰り返される計算ミスが混乱を引き起こした.第二に,異なる研究者が異なるモデル,異なるシミュレーションを使って解析を行い,異なる見解を発出した.第三に,同一の解析結果から,政府事故調査委員会と国会事故調査委員会が異なる結論を導き出した.東日本大震災と福島第一原子力発電所事故が学術に突き付けた様々な課題は,日本学術会議をはじめとして様々な学協会において精力的に議論が行われた.総合工学委員会・機械工学委員会合同の計算科学シミュレーションと工学設計分科会においては,計算科学シミュレーションの情報発信検討小委員会を設置し,集中的に検討を行い,報告「科学者から社会への情報発信のあり方について」という報告4)をまとめた.そこでは,科学者からの自律的情報発信のために必要な組織とプロトコルの整備を進めることを整理し,留意,検討すべき課題を提示した.

5.社会が備えるべき計算力学リテラシー

改めて,東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故が「計算力学に突き付けた課題」に焦点を絞り,計算力学の観点から考えてみたい.

筆者は,4のはじめに述べたような混乱が起こった背景として,①解析者(専門家),②解析結果の評価者(専門家),③解析の受益者(非専門家)に乖離が生じていることに由来している,と考えている.

V&Vを経た計算力学手法を用いたとしても,モデル化や入力データが異なれば,異なるシミュレーション結果がでてくる.ましてや,自然現象との強い相互作用があり,非線形性,マルチスケール性,マルチフィジクス性が強くなってくると,真実は一つのはずなのに,計算力学シミュレーションからたくさんの異なる結果が出てきてしまう.計算力学には「定量的な予測能力」がある,と声高に主張してみても,一つの事象に対して,異なる専門家が異なる計算力学シミュレーションを使って,異なる結果を出すことは,専門家にとっては常識であっても,政府・行政やマスコミ関係者も含めて一般の人に理解できないのは当然のことである.しかし,そうした計算力学の専門家の常識と一般の人の計算力学に対する期待の間に横たわる乖離を放っておくと,結局は計算力学シミュレーションやその専門家に対する不信感を生み,さらに増大させることとなる.計算力学の適用分野が社会の隅々にまで広がる中で,計算力学シミュレーションの結果を専門家が内々で活用する場合とは異なる,社会で活用してもらうための工夫がいま必要になっている.

計算力学を,社会(市民,行政・政府,マスコミを含む)が,社会的問題の解決に活用するための基本的理解,~ これをここでは,「社会が備えるべきシミュレーション・リテラシー」と呼ぼう~,が専門家の側にも,市民の側にも,行政・政府の側にも,マスコミの側にも求められている.これを第2種の計算力学リテラシーと呼ぼう.筆者は,「社会が備えるべき計算力学リテラシー」を次のように考えている.

①計算力学とはどういう技術であるか.

様々な現象を定量的にシミュレーションすることが可能であり,その結果,これから起こる現象を予測したり,これから作ろうとする製品の性能を事前に評価することができる.しかし,近似解法であるため,いろいろな要因によって誤差が発生する.したがって,誤差を適切にコントロールすること,またそうした誤差の存在を知った上で活用することが必須である,ということを理解しておく.

②どのような計算力学シミュレーションならば,またシミュレーション結果ならば,社会的意思決定/合意形成に活用できるのか?

平常時において,計算力学シミュレーションの解析結果と実現象の比較検討を行っておき,その結果をステークホルダー間で共有し,その計算力学シミュレーションの予測精度の程度,限界を理解しておく.その繰り返しによって,当該の計算力学シミュレーションに対する信頼感をステークホルダー間で醸成しておく.

③シミュレーションをどのように社会的意思決定/合意形成に活用すべきか?

必要に応じて,不確かな情報に関しては,その値を変更した感度解析やパラメトリック解析を実施する.また,同一現象を解析できるシミュレーションコードが複数あるときには,それらを用いて比較対照解析を実施する.解析コードや入力データを第三者がチェックできるようにしておく.

以上,計算力学の2つのリテラシーについて述べたが,日本機械学会が社会との係りをより強く志向していくとき,様々なレベルで同様の観点からの活動が必要ではないだろうか.

参考文献
1)日本機械学会計算力学認定事業ホームページhttp://www.jsme.or.jp/cee/cmnintei.htm
2)http://www.jsces.org/activity/issue/index.html#issue02
3)NAFEMSホームページhttp://www.nafems.org/regional/japan
4)報告「科学者から社会への情報発信のあり方について」,日本学術会議 総合工学委員会・機械工学委員会合同 計算科学シミュレーションと工学設計分科会,(2014.1.31)