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No.184 クラーク先生のもう一つの名言

JSME談話室「き・か・い」は、気軽な話題を集めて提供するコラム欄です。本会理事が交代で一年間を通して執筆します。


2019年度(第97期)財務理事
小川 英之[北海道大学 教授]


北海道大学の前身,札幌農学校の初代教頭(実質的な校長)であられたウィリアム・スミス・クラーク(William Smith Clark)先生がおっしゃられた「少年よ大志を抱け!(Boys be ambitious!)」はあまりにも有名であり,我が北大のモットーとなっているばかりではなく,多くの方々の心に響く名言であることは恐らく異論のないところであろう.これはクラーク先生が農学校での9か月間の赴任期間を終えて1877年4月に帰国の途につくため札幌を去られる折に,見送りに来た学生たちに向けた言葉とされている.このお言葉だけでも敬愛してやまないクラーク先生であるが,もう一つの名言に知る人ぞ知る「紳士たれ!(Be gentleman!)」がある.単純明快な「少年よ大志を抱け!」に対し,このちょっと意味深なお言葉は,先生が着任された折に学生に向けた訓示の中の一言であるとされている.実はこれには伏線があり,農学校の開校にあわせて当時の役人(北海道開拓使長官 黒田清隆)が事細かな校則を事前に準備して先生に伺いを立てたことに端を発する.先生はその校則案をご覧になり「こんな規則などはいらない.紳士たれの一言で十分である.」と一蹴されたという.そして学生たちに対し,「私は諸君が紳士であるとして接する.であるから諸君は紳士たらしく自粛自重した振る舞いをせよ.」と述べられたとのことである.すなわち,それは規則に縛られて行動するのではなく,自己の良心に従って行動すべきであり,紳士であれば規則などなくても恥ずべきことは決してしないという完全な性善説に立たれている.そして,それまで飲酒などでけっして行儀の良くなかった学生たちは,この言葉を拝聴して自分たちの行動を自制し,羽目を外すことを慎むようになったという逸話がある.

さて,それから140年以上が経過した現在はどうなっているかというと,やたらと規則が定められているばかりではなく,その規則を守るためにさらに規則が定められ,何をやるにしても,何を購入するにしても,どこへ行くにしても,必ず書類が必要となっている.そして形骸化した手続きに時間ばかりがやたらとかかり,最終的に諸外国に対する競争力を失う結果になっている.十数年前に国立大学法人化が行われた際に,とあるお役人が我々に説明した中に,「これまで先生方は決して悪いことをしないという性善説が基本でしたが,法人化後は放っておくとどんな悪事を働くかわからないという性悪説に変わることになります.」という言葉があった.そう言われたときには実感がなかったが,その後その意味が非常によくわかった.つまり我々大学教員は紳士から悪党に突き落とされたということである.

私は自分が紳士であるかどうかはわからないが,少なくとも悪党ではないと思っている.正直に申し上げて差しさわりない程度の多少のごまかしはするかもしれないが,いつも正義感を忘れずに生きているつもりである.そして世の中の大半の人たちが私と同様であると思う.現在の規則を守らせるための規則は,ほんの一握りの悪党の悪事を防ぐために,多くの善良な人たちの仕事をやりにくくしているとしか思えず,それがもたらす損失は計り知れない.ほんの些細なごまかしを許さないために,書類を作成するための多くの時間的損失を生み,公正の名のもとに不合理な物品購入を強いている.そして気がついたら時間だけがやたらと経過して国際競争力を失っている.規則が必要なのは間違いないし,それを守るのは当然であり,それを破れば厳罰に処されるべきであるが,それを守らせるためにあまりにも非生産的なことが多すぎると感じざるを得ない.せっかく抱いた大志をいつまでも実行できないこの状況をクラーク先生がご覧になったら,何とおっしゃられるであろうか.

嘆いていてばかりではいけないので,少しだけポジティブな話に切り替えたい.最近NHKの「チコちゃんに叱られる」という番組が人気をはくしている.孫がいてもおかしくない年齢になってまだ孫に恵まれていない私にとって,このチコちゃんがとてもいとおしくてならない.それはさておき,そのチコちゃんのフレーズ「ボーっと生きてるんじゃねーよ!」というのもある種の名言であると思う.慌ただしい毎日に流されて振り返ると何もできていない自分を叱咤してくれているように感じる.そのチコちゃんが出題したクイズの中で,「子供に比べて大人になると年月が過ぎるのを早く感じるのはなぜ?」という出題があった.その答えは「大人になると,ときめきがなくなるから」ということであった.これにはハッとさせられた.そう言えばときめきを感じることはほとんどないこの頃である.この年になってやたらとときめきを感じているようでは情けないが,残る人生ときめきを求めることを忘れないようにしようという思いを抱いた.そして,少年ではないが,ときめきを求めて大志を抱きたいと思う.クラーク先生がおっしゃられたあのお言葉を最後まで記すと,「Boys be ambitious like this old man(少年よ、この老人の如く大志を抱け)」であった.この時の先生は今の私よりも10歳以上若かった.してみると私はまぎれもなく老人であるが,大志を抱くことを忘れまいと思う.そして,若い人たちにはなおさらときめきを求めてもらいたい.

クラーク先生の胸像(北大キャンパス内)
クラーク先生の胸像(北大キャンパス内)
クラーク先生の発想と指導で造成された札幌農学校第二農場(北大キャンパス内に保存)
クラーク先生の発想と指導で造成された札幌農学校第二農場(北大キャンパス内に保存)